散文誌

日記・小説

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ゲームでレアアイテムをゲットするために、何度も同じモンスターを倒していると、うつらうつらと船を漕ぎ出してしまう。ライトの明滅のような意識の狭間で、時折鳴り響く効果音が、まどろむ僕の内耳を貫き、ハッと覚醒させる。そうして大抵の場合、寝ぼけ眼でみる画面には、パーティーの誰かが無残にも死んでいる場面に遭遇する。

そうならないためには別のなにか、意識を持続させ得るに足る力が必要で、僕はよく、fc2等の配信サイトで動画をながら観している。映画やドラマの大半はこうした配信サイトで観ることが多く、無駄に観た数だけは増えていく一方で、ながら観の弊害か、どんな内容だったか思い出せないモノが大半だ。
「おっ、観た事ない映画をやってるな」と思って観てみると、どことなく見覚えがある、といったことがよくあるのだ。(これは知っている)と、僕の感覚が告げている。なのに内容を思い出せない。

「あれ?これ観た気がする……うん、ここ観た覚えがあるな……あら、こんなシーンあったかな?……えっ、ラストこんなんだったっけ?」

まるでピカソの絵のような外観の、奇妙なデジャブの森の中をさ迷っている、そんな感覚に陥る気色の悪さ。在るべきモノが在るべき場所にないような何ともいえない不快感。



そんなことを感じる一方で、よく覚えているモノも存在する。

日本の古い刑事物ドラマなんだけど、ながら観した当初は大して面白くなかったんだ。他のモノに変えようかと、配信サイトを巡ってみたけど、どうもこれより良さそうなのがない。だから仕方なく観てた。「こいつ、犯人っぽいな」とか、「そんな動機で人を殺す奴はいねえよ」なんて思いながらね。ちょくちょく盛り上がるシーンはあるんだけど、全体的に地味で、ぼーっと観てる時間のほうが多かった。
そうして意識がふわふわしてるときに、突然、名前を呼ばれたんだ。僕の名前を。それも、苗字じゃなく下の名前のほうだったから、余計に、ってのもなんだかヘンだけどびっくりしちゃって。
なんだなんだとドラマを観ると、強面の男がすげぇ暴行してんの、女性に。その女の人は僕の名前を呼びながらヤメテヤメテと懇願してて、どうやら強面の男が僕と一緒の名前のようなんだけど、一向に手をとめないんだ。パァンと小気味いい音の平手打ちが飛んで、女の人が突っ伏して泣き喚くのをよそに、男は女のモノと思われる財布から金を抜き取ると、口汚く罵りながら女の人に覆いかぶさり、荒々しく行為をおっぱじめようとした所で場面転換するんだけどね、しばらく動悸が収まらなかったよ、いやぁびっくりしたね。

そこから食い入るようにみてて、結局おとこは女にヤられるちゃうんだけどさ、なんていうか、すげぇ感情移入しちゃってね。最初はひでぇ男だと思って嫌悪感丸出しだったんだけど、途中、男の悲しい過去のシーンなんかあったりしてさ、あぁ、こいつにもこうなった悲しい原因があるんだな、って同情しちゃって。クライマックスの死んじゃうシーンではさ、男が今際のきわにこう言うの、「すまなかった、でも愛してる」と。その瞬間ぼくの涙がちょちょぎれてね、ほんと可哀想なやつだなと、暴力でしか人を愛せない悲しい人間なんだなと、もうすげぇ泣けちゃってね……。

まぁでも覚えてるのはこのエピソードだけなんだけども。

ともあれ新鮮な驚きだった。自分と同じ名前の配役がいるだけで、こんなにも感情移入できることに。



自分と同じ名前の配役がある、ドラマなり映画を探して観ることが、今の僕の、密かなまいぶーむ。
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擬似

突然、何の脈絡もなく、無性に何かを破壊したくなるときがある。例えば宅配便で届いたダンボールを、強引にエッチするとき服をビリビリに破くような感じで、両手で左右に引き裂きたくなるんだ。そのとき、「オラぁ!」とか「どうだぁ!」なんて言いながらグチャグチャに破壊する。そして「思い知ったかこのやろう!」と捨て台詞を吐いて、ゴミ箱に叩きつける、あの快感、あの開放感が、日々の鬱屈を解消する一助となっている。別段、不思議な事でもなんでもない話だ。

破壊の衝動は誰しも持っているモノである。子供のころ、昆虫などを殺したり、廃屋になった家や工場で物を壊したりした経験は誰にでもあるだろう。大人になれば精神的に成熟し、倫理、道徳、常識といった理性の壁が、破壊衝動を抑制させ、馬鹿げた行動を慎むようになるのだが、果たしてそれは良い事なのだろうか?

もちろん、人や動物を傷つけるのはいけないことだ。そういった犯罪行為に繋がる衝動は押さえ込むべきである。だが、抑圧すればするほど衝動という名の爆弾は大きくなり、ちょっとした火種が導火線に火をつける、なんてことになりかねない。どこかで開放してやらなければ、「そんなつもりはなかったんだ」などという犯罪者の定型文をいう羽目に陥りかねないのだ。

ではどのように衝動を開放するのかというと、疑似体験、である。冒頭で、僕がダンボールを女性の服に見立てて引き裂いたような、誰にも迷惑をかけず、傷つけもしない無害な疑似体験だ。
妄想でいいじゃん、なんて声が聞こえてきそうだが、頭の中だけで完結する妄想ではダメなのだ。物足りない。どこかすっきりしない。
しかし、擬似的に身体を動かすことによって、その妄想は疑似体験へとステージをあげることができるのだ、といってもなんだか分かりにくいな。どういえばいいんだろう。
たとえば3D対応の映画を、3D眼鏡を通して観るか観ないかの違い、とでもいった感じだろうか。女性のお尻を模したオナホールで擬似セックスをするのは疑似体験である、みたいな。
とにかく、頭の中だけの妄想では得られないモノが、擬似体験にはある、ということだ。そしてその疑似体験が、たとえ禁忌に触れる行為であったとしても、擬似的なフィルターを通していれば、理性の扉の鍵を開け、抑圧された衝動を解き放ってもいいのではないかと、僕は思うのである。

馬鹿になる、ということ。子供の頃やっていた一人遊び、お人形ごっこのような感覚で、心の底に澱んでいる人には知られたくない、見せたくはない衝動を、開放してみてはどうだろうか。

「数十メートル先を歩いている女性のお尻の辺りに手をおいて、まるで痴漢しているかのようにまさぐる。女性は気づいていないし、ボクはハッピー。誰も傷ついていないじゃないですか」と、ケンコバが言っていた。つまりはそういうことである。
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僕は今、乳首に洗濯ばさみをぶらさげたまま、文章を綴っている。どうしてかって? そりゃあ眠いからさ。痛みという刺激を与え続けないと、途端に船をこぎ始めてしまうんだから、しょうがないよね。そこまでして書きたい事でもあるのかと聞かれれば、ないと答えざるをえないわけだけれども、まぁ常識的に考えて意味不明だよな。

泳ぎ続けなければ死んでしまうサメじゃあるまいし、僕は文章を書き続けなければ死んでしまう変態なわけじゃない。でもなにか判然としないモノが、頭の中を蠢き続け、出してくれと訴えかける声に導かれて、目を瞬かせながら打鍵を続けている。
もう一度いわせてもらうが、僕は変人じゃない。変態でもない。いたってノーマルな人間だ。しかしながら、今現在の状況に多少のズレを感じていることは否定しないよ。
でもよく考えてみてくれ。誰しも妙ちきりんな行ないをしてしまった覚えがあるはすだ。胸に手を当ててよぉく考えてごらん。少なくとも一つは思い浮かぶはずだ。君がどういう奇矯な振る舞いをしたのか、僕には想像もつかないけれど、ノーマルな人間だということは分かるよ。
どうしてかって? そりゃ、ここまで読み進めてくれた優しさを持っているからさ。僕ならこんな文章、すぐに読むのをやめるよ。でも君はそうしていないじゃないか。とても嬉しく思っているよ。恥ずかしくて普通ならこんなこと言えやしないけれど、どうやら僕は君のことが好きみたいだ。
ふふ、笑っちゃうよね。僕は君のことなんて何一つ知らないのに、君のことが好きなんだ。おっと、逃げないで。別に変な意味じゃないんだから。話を聞いてくれるだけでいいんだ。安心して。僕はなにもしないよ。
どうしてそんな目で僕を見るんだ? 話をしたいだけなんだよ、君と。たったそれだけのことが、君はできないっていうのか? 君は優しい人間じゃないか。ならできるはずだろ、話をするぐらい。
おい、逃げるなといっているだろう。期待させておいてその行動はなんだ? なるほど、君はそういう人間だったのか。失望したよ。一瞬でも君みたいな人間を好きになったことに怒りさえ覚える。僕は善良な人間だから、君に対して何かをしようなんて思っていないよ。でも気をつけたほうがいい。もしも僕が邪悪な人間だったら、君は、どうなるんだろうね?

それにしても暑いな。シャワーを浴びたい。でも眠くて眠くてしょうがないんだ。頭がかゆい。身体がべたべたする。すごく眠い。おやすみなさい。
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無理無体

午睡などでまどろんでいるとき、夢と現実の区別がつかなくなることが往々にしてある。いや、区別がつかなくなるという言い方はなんだか分かりにくいな。夢、もしくは妄想の檻に囚われたまま、頭の中の世界が現実だと認識してしまう、という感じか。そしてその感じはしっかりと目覚めるまで続き、まどろんでいる限り、仮想の霧は一向に消えやしない。
つくづく思う、不思議だなぁと。あるときは以前働いていた職場でのことであったり、または学生の頃のことであったり。覚えているのは主に過去での出来事だ。正確にトレースしている場合もあれば、全く違う理想の自分が、理想の過去へとリメイクしていたりもする。
夢を見ることには何かしら意味があるんだろう。フロイトだかなんだか知らないだが、僕は心理学が嫌いだ。でも興味はある。けれども、心理学に関連する書物、テキストを読んでも、一向に頭に入ってこないんだ。意味を理解しようとする気がおきない。重ねて言うが、興味はあるんだ。でも理解する気になれないんだよ。分かるかな、この気持ち。心理学という学問がどういう学問なのか、大して知りもしないのに、何故か毛嫌いしてしまうんだ。どうしてだろうね?

ところで指を切ったんだ。でも血は出てなくてね。よくみると甘皮だけを切ってる。2ミリぐらい、直線にスパっと。どうして切ったのか、まるで覚えがない。朝起きたときは切れてなかったんだ。でも、夜になってふと指を見てみると、切れてた。どこで切ったんだろう? その日一日の行動を思い出してみても、指が切れるような作業やアクシデントに見舞われた覚えがない。でも切れてる。どうして切ったのか、不思議でしょうがなかったから、聞いてみたんだよ、指に。どうして切ったんだ、おまえって。すると指はこう言うんだ、おまえは知っている。でも思い出したくないだけなんだよって。不思議なことを言う指だなと思ったよ。だって指は喋らないしね。しょうがないからゲームを始めたんだ。でも指がいうこと聞かない。おいちゃんとしてくれよ、ゲームができないじゃないか。僕はそう言って指に抗議したんだ。当然だよね、僕の指だもの。でも指は僕に対して中指を立ててきた。ふぁっくゆー。そう聞こえたよ。だから僕は制裁を加える事にした。指を叩いたんだよ、ふぁっくゆーしてる指をね、こう、ピシッと。すると、指は指を引っ込めて、僕の手が握りこぶしになってたんだ。それをみて、僕はどこかがヘンだと思った。切ったのは人差し指。でも僕の手は握りこぶしになってる。おかしいよね。そもそも僕はゲームをしてたんだからコントローラーを握ってたはずだし、中指が指を立てるのもおかしいじゃないか。僕は問い詰めた。おまえは僕の手を操れるのかと。すると突然、握りこぶしだった手がパッと開いて、こう言うんだ。そうだよ。俺はおまえを操れる。だからお前に仕返しをすることも可能なんだ、知らなかったのか? 僕はぞっとして、反射的に指に制裁を加えようとしたんだけど、上手くいかない。コントロールがきかないんだ。よく見ると僕のもう片方の腕が石になってる。驚いた僕に、指が言うんだ、ほらみろ、お前のせいだぞ。お前のせいでこうなったんだ、だからお前の顔もこうしてやる。言い終わると同時に手が顔に襲ってきて、僕の目をぞりっと削いだ。鋭い痛みが走って、ぬめっとした液状のモノが目から溢れ出してくるんだ。どくどく、どくどくと脈打つ液体が顔を染めていく。見えるんだ、自分の顔が。鏡もないのに。鋭利な傷口から、真っ赤な血が僕の顔を染めている。血はどんどん溢れ出して、いつのまにか僕は血の海に浮かび、真っ赤に染まった視界の中で、指が僕の頭を押さえつけ、こう言った。お前が悪い。お前のせいだ。お前を呪え。僕はゆっくりと血の海の中に沈み込んでいく。ああそうだ、僕が悪かったんだ。ゆっくりと僕は沈んでいく。僕は眠りつくんだ。ゆっくりと沈んで、底についたとき、ああ、眠れる。そう思ったのに、指が起きろと言うんだ。不思議なことを言うやつだと思ったよ。お前が沈めたんじゃないか。いいから起きろと指がいうんで、しょうがなく目を開けたところ、そこは血の海でもなんでもなく、現実の僕の部屋だったんだ。

しっかりと意識が覚醒して、夢だと分かったとき、ヘンテコな夢を見たと思ったよ。熱帯夜のせいかな? 一つあくびをして眼をこすると、まぶたにぞりぞりする感触がしてね、おや、もしかしてと思い、指をみてみると、指が切れてたんだ。でも血は出て無くてね、よくみると甘皮だけを切ってる。2ミリぐらい、直線にスパッとさ。どうして切ったのか、まるで覚えがない。昨日、寝るまでは確かに切れてなかったんだ。どうして切れたんだろう? 不思議なこともあるもんだ。僕はトイレに行き、珈琲を淹れ、気だるげに紫煙をくゆらしながら、今日も憂鬱な一日が始まることにため息をついた――。
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習慣は第二の天性

習慣は第二の天性というように、これまで慣れ親しんできた習慣という檻からは簡単に抜け出せない。
例えば口癖。よく電話で、挨拶する前に、「あっ、何々です」と、頭に「あっ」をつける人はよくいるでしょう。ちなみにうちの母親は「マジに」をよく使います。一度ツッコんだことがあるが、どうやら「マジで」を間違って覚えてしまって、それを誰かに指摘されたところ、間違えていたことが恥ずかしかったらしく、意地でも認めず使い続けていたら、いつの間にか口癖になっていたそうです。僕はそこにジェネレーションギャップと可笑しみを覚え、なんだか笑ってしまいます。だって微笑ましいひとコマじゃないですか。
僕はよく「そうそう」を「そそ」と短縮して言うんですが、子供の頃、おばあちゃんにたしなめられて以来、祖母のまえでは使うのを控えていて、子供心に何故だろうと思っていたのですが、今思えば、祖母の気持ちも分かります。それは「そそ」という言葉が、ある種の年代の人や読書家、知識人には、子供が言う言葉ではないという認識があったからでしょう。そんな思い出を胸に、今日は「そそ」に関連することでも書いてみようよそうしよう。


僕が始めて女性器の俗称であるところの「まんこ」という固有名詞を聞いたのは、オナニーさえ未だ経験したことのない、まさしく純粋な小学五年生の頃でした。兄の友人がふらっと我が家に遊びにきたとき、「まんこって知ってるか?」と聞かれた僕は、素直に「まんこってなに?」と問い返したところ、彼は笑って「まだまだ子供だな」なんて小馬鹿にされた記憶があります。

彼の思わせぶりな謎の言葉と、子供扱いされた悔しさのようなモノが、僕に、「まんこ」に対する探究心を与えました。「まんこ」ってなんだろう、どんなモノなんだろう。子供らしい純真さと芽生え始めた自尊心の屈折した欲求が、片手で数えるほどしか触れてこなかった辞書に手を向けさせました。さっそく辞書をひらいてマ行を調べてみるも、なぜでしょう、載っていません。現在の辞書には記載されているモノもあるようですが、あの頃の辞書には載っていなかった。はてさて、僕は弱りました。何でも載っていると思っていた辞書に、「まんこ」なんて記述はどこにも見当たらなかったのです。

当時、僕には友達と呼べる間柄の他人はいませんでしたから、仲が良いわけでもないクラスメートに聞くなんて、ノミの心臓の所持者である僕には到底不可能。兄や、その友人に聞くというのも癪であり、気が進みません。どうにかして「まんこ」なる謎の言葉の秘密を解き明かさねば気がすまない。
あの頃の自分を脳内メーカーで診断すれば、「まんこ」で埋め尽くされていたことでしょう。

そうして悶々としながら、一月ほど経ったある日のこと。兄にRPGのレベル上げだけをさせられるという苦役に就かされていた僕は、その日も黙々とモンスターを狩り続けていました。しかしそのRPGはウィザードリィという、たとえ雑魚でも油断すれば死ぬこともよくあり、尚且つ死んだキャラクターは復活しないシビアなゲームでしたので、兄に「このモンスターには注意しろ」などといった忠告を受けていたのですが、単調な作業というモノは注意力を散漫にしがちです。ただでさえ「まんこ」という大いなる謎に向かい合っていた僕にとって、そのように単調な作業は不幸にもキャラクターの死という結末を迎えることは必至でした。

さてさて、困りました。兄が知れば激怒することは間違いありません。また1からキャラクターを再現させることなど時間的に不可能。困り果てた僕は、自暴自棄になり、暴挙に出ました。当時のゲームはカセットロムで、衝撃を加えたりすると、よくセーブデータが消えることが多々あったのです。今思えばそんな極端なことをしなくとも、また1から作り直せば、たとえ元のレベルまでに再現できなくても、兄の怒りは幾分収まったことでしょう。
しかし幼さとは愚かさと表裏一体です。そんなことは考えも及ばず、カセットを投げてはデータが消えたか確認し、投げては確認し。絶望の淵へと片足を沈みかせた何度目かの投擲が、雑誌が処狭しと並んでいる兄専用のカラーボックスの、わずかな隙間にはまり込んでしまい。ちょうど雑誌と上板の隙間を通り、わずかに空いていた裏のスペースにすっぽりと。
恐怖と焦燥感に半ば泣きべそをかきながら、雑誌をどかしたところ、捲れた雑誌の一つから、なにやらカラフルな図柄の、雑誌の切り抜きのようなモノが顔を覗かせているではありませんか。思わずなんだろうと手に取ってみると、それは漫画のようなキャラクターが、とてつもなくエッチな格好やポーズをしている珍妙な構図満載の切り抜きで、「コレは一体なんなんだ……?」と、数瞬の間、思考がフリーズしました。無理もありません。それまで僕が目にしてきた性的なモノといえば、少年ジャンプなどの健全なエロだったのですから、膣に陰茎がはまり込んでいる絵など想像の埒外、性的なキャパシティを超えていたのは当然なのです。
そしてつかの間の呆然から強烈な引力をもって僕を引き戻したのは、テキストの、「まんこが云々」などという文言でした。僕はまさに雷に打たれたかのような衝撃、いや、ヘレン・ケラーがwaterをwaterと認識したときのような衝撃を覚えたのです。そうか、そうだったのかと。まんことは女性のアソコのことだったのかと。

そう、僕はついに開眼したのだ。かつてセスタスが最高のカウンターを開眼したと同じように、

、『その感動は深く肉体(記憶)に刻み込まれ、終生忘れぬ自分だけの財産となる』

のである。
そしてその感動は僕を有頂天にし、女性を除いて誰彼となく「そそ、まんこってのは女のアソコなんだよ」と吹聴し、それがきっかけで初めての友達を得ることになるのだが、それはまた別の話。
僕はいまでも、まんこに関する話題には、「そそ」と持ちかける。それは「そそ」が女陰の隠語であるからなのであるが、大抵の人間はそんなことは知らず、僕の、他人からすれば意味の分からない自己満足の密かな楽しみは今後も続いていくことだろう。
ほら、今も夜更かしをしているイけない女の子がツイキャスに蔓延っている。僕は気に入った子の配信をひらき、密かにほくそ笑みながらコメントをそっと打つのだ。

「そそ、知ってる? マンコってさ――」
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狩人の葛藤

こんな深夜に更新なんて珍しい事この上ないのですが、なにせね、さぁ寝ようというときに巨大Gが出没し、奴を殺さねばとてもじゃないが眠れない、ってことで、こんな時間まで起きざるをえなかったわけなんですけれども、しかしね、毎度思うんですが、当然殺される覚悟で我がテリトリーに侵入を試みたくせに、あんだけ必死こいて逃げ回るとは一体全体どういう了見なんでしょうかね?
いやいや、虫ごときが人間様のように思考できるとはこれっぽっちも思ってはいませんよ? でもね、ふと思ったんですよ、こいつ、もしかして……なんてね。もしかしてもしかしちゃって、てめぇおちょくってんじゃねぇのか、なぁんてね、ええ、ふっと思っちゃったわけでしてね。ほら、輪廻転生ってのがあるじゃないですか、あれ、もしかして……なんつってね。いえいえ、本気で考えてたわけじゃぁございません、もぉしぃかぁしぃたぁらぁ? ぐらいの、かる~い気持ちでね、ちょいと四方に目を配りながら、その辺のことだいぶ脱線しながら、まぁぐだぐだ考えてみたんですよ……。



普通の人間は理解できないモノに直面すると、恐怖を感じたり、拒絶反応を示すもんだ。理解を拒む。それは己れの培ってきた常識や世界観を壊しかねない危険な代物だと、自己保全の本能が告げるからである。人はそれまで信じ、積み重ねたきた慣習という名の自我を、急激な変化から守るために遠ざけようとしてしまうモノなのだ。特に自尊心が強く、愚かな人間は自分の尺度でモノを考え、行動する傾向にある。しかもそういう人間に限って、権力の高みに昇ってしまうことは歴史が証明している。
だからこそ人類の歴史に愚は尽きない。

さてここで一つ、仮定の話をしてみよう。もしも僕が、あなた方の子供であり、人間でない異質なモノだったとしたら、あなた方はどうするだろうか。もちろん仮定の話ではあるが、真剣に考えてみて欲しい。そしてあなた方にとって、僕という存在は愛すべきモノだったとしたら。あなた方は僕に対して恐怖を感じ、拒絶するのだろうか。それとも、愛ゆえに異質である僕という存在そのモノを受け入れようとするだろうか。または愛ゆえに、拒絶しつつも何とか元に戻そうとあらゆる手を尽くすだろうか。はたまた、愛ゆえに僕を始末しようとするのだろうか。

どの方法も、愛ゆえの行動であることをまず断っておきたい。たとえ自己本位な愛だったとしても、それは愛である。人間でない異質な僕という存在を受け入れ、人間同様愛そうとするのは薔薇の愛だが、僕は成長するにつれ様々な困難に遭い、障害に道を阻まれるだろう。親の愛と世間の冷遇、その対比が大きければ大きいほど、僕はとても辛い思いを味わうことになるのは明白です。そして目ざとい政府機関は僕という存在の秘密を暴こうと拉致監禁しては生体実験なり行うと画策する、ということはニック・ハロウェイの例を挙げるまでもないでしょう。人間は欲望のまえには忠実です。人類の発展ないし科学の進歩という煌煌しい建前のために、僕は人身御供に等しい状況に置かれることは明々白々でしょう。「人生は人間に、大いなる苦労なしには何も与えぬ」とはホラティウスの言ですが、僕はあいにく人間ではありません。異質な何モノかなのです。苦労したところで得られるモノはほんの一握りの幸せと、実験動物としての末路。それが愛ゆえの結末だとするならば、なんという皮肉でしょうか。

愛ゆえに元に戻そうとあらゆる手を尽くそうとしても、上記の運命と大して変わらぬ末路を迎えることでしょう。
では、愛ゆえに僕を始末することはどうでしょうか? 別の愛し方をしても、上記のような末路を迎えるのならば。そうならば、いっそのこと、親の手で、愛するわが子を今生の苦しみから救うことも一つの愛の為せる技です。子殺しは大罪です。しかし、辛く苦しい運命を背負うわが子はみるに忍びない。ならばいっそのこと、この手で……っ!

そうして僕はようやく現れたGを叩き潰し、遺体現場の殺菌消毒を済ませ、メモ帳をそっとGするのであった。
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眠れない夜

就寝時に悶々として寝られない日、あなたは一体どうしていますか?


先日、とある会合で同席者から「君ってナマケモノなんだねぇ」と言われたので、僕は会話を盛り上げようと「そうなんです、よく木にぶらさがったまま何時間も、ぼーっとしてて……。これはこれで大変なんですよ、ハハ」なんて返したら、「ああ、そう……」と真顔でいなされ、その瞬間、大いなる後悔と羞恥心に居た堪れなくなり、思わず飲めもしない酒を呷ったところ、「それ、俺の酒なんだけど?」と威圧感たっぷりにキレられた現代のレ・ミゼラブル、どうもこんばんみ。

こういった嫌な記憶というモノはなかなか消せるモノではありません。特に就寝時、さぁ寝ようと思っても、しばらくの間、しつこく、ねちっこく、ことある毎に脳裏を過ぎっていくことでしょう。ありがちなメンタルコントロール関連の方法には、頭の中にゴミ箱のようなモノをイメージして、その中に嫌な記憶をボッシュートする、などと書かれていますが、そうそう上手くはいきません。自己暗示の得意な変態はたやすくこなせるのでしょうし、得意ではなくとも、根気よく続けることのできる性質、つまりは努力を怠らない人間には可能な方法なのでしょうが、あいにく、僕はナマケモノですので、そういった方法は性に合わないこと明白です。

ではどうやって嫌な記憶から意識を逸らし、つかの間の安眠を掴み取るかというと。もうこれは「綿のように疲れる」という表現が当てはまるほど、とことん体を酷使し続けるしかないのです。別の方法も試みてはみましたが、どれも功を奏しませんでした。

失敗例

1・『オナニー』
普段なら気持ちの良いはずのマスターベーションが、心に暗雲の垂れ込める状態でとなると、どうも興が乗りません。僕の好みはAVではなくIVの、あの秘部は見せないキワどさなのですが、ダークゾーンに陥ったままではチン子に響かないのです。射精に至るにはこの鬱屈をぶつけ、燃焼させねばならないとしたら、もう陵辱モノしかないのではないか。「僕と同じ気持ちを味わわせてやる」。普段なら表に出てこない醜悪な欲求を、異性をいたぶる疑似体験を通して開放し、この心にまとわりつく粘っこいシロモノを射精と共に放出させるのです。結果、最中は忘却できますが、直後に来る虚脱感と、擬似とはいえあのようなひどい行為を嬉々としてやってのける邪悪さへの疚しさが罪業妄想を刺激し、記憶の鬱屈と相まって、最悪の相乗効果をあげること間違いなし。ジャック・ケッチャムやジョン・ソールの小説を読了した後のような気分。最低の試みでした。

2・『アイドル』
元々ドルオタではなかった僕ですが、既に引退、というより休業? している道重さゆみさんにハマり、ハロープロジェクト、略してハロプロ関連のアイドルをよくチェックしていまして。普段なら癒されるはずの、アイドル達の可愛らしい仕草や花顔が、ダークゾーンに陥った僕には一転して、アイドル特有の振る舞いは鼻に付き、コピペしたような笑顔がサイボーグのように見え、鈴を振るようだった声音が耳に障り、なぜこんなしょうもない三流品に心を奪われていたのか不思議でしょうがなく、小便臭いガキにうつつをぬかしていた自分に嫌悪してしまい、これまた失敗の試みでした。

他にも小説や漫画、映画やドラマなど、色々ありますが、所詮、一時凌ぎにしか過ぎないのです。ほんのひととき忘れられていても、ふとした瞬間、嫌な記憶が脳裏を過ぎる。どうしても思考してしまう。そこから逃れ、安眠を迎えるためには、思考する余裕を失くすことこそ、最高の方法なのです。

※睡眠薬を使う手もありますが、おススメはできません。個人差はあるでしょうがすぐに耐性がつき、 量が増えたり、もっと強い薬を所望するようになるからです。嫌な記憶から逃げたいだけの一過性 の不眠症みたいなモノには適切ではありません。

綿のように疲れ果て、泥のように眠る。それこそが、最低にして最高の方法だと思う次第です。
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空と匂いとそしてマフィン

先週の大寒波を乗り切り、暖冬といわれた今冬も残りわずかとなった月末、絶えて久しかったブログに手を付けたはいいものの、さてはて何を書こうかと、冷える足をすりすり、悩む頭に血が昇る。
久々に感じる脳裏の火照りは、微妙な疼痛のようで気色が悪く……。このままではまずい。いや、もうすでに綴る手を止めたくなってきている。早急に、激烈な気分の変化を生じさせねばならない。

その為には何をすべきか……? 一寸の黙考によって、僕の目はある一点に止まった。光という光を、これでもかと遮る遮光カーテン。まるでその先に開かずの間でもあるかのように、年中閉じたままの我が家のカーテンには、青黒い地の先に、微かに光の光点が差し込んでいた。(僕はいつもカーテンを開けない。何故か? 陽射しによって大気中の埃がクローズアップされるのを見ることが嫌だからだ。ちなみに窓も開けない。洗濯等の煩わしいモノはコインランドリーで済ませるべき代物だ)
やはり、というべきだろうか。激烈な変化を求めるには、嫌なモノへ目を向けなければはじまらないのだ。僕はそう結論付けると、重い腰をあげ、恐る恐る窓に近づき。やにわに手を引いた。
シャッと音を立てて開いたカーテンの先から、朝の爽やかな陽射しが眼球を突き、思わず目を細める。徐々に開いていく目に映じたのはやはり、空中を舞う、一体全体なんの成分によるモノなのか想像もしたくない微物だった。汚らわしいという思いが、咄嗟に窓を開け放つ。思いのほか強い風が寒気とともに身体の脇をすり抜け、一瞬にして体表という体表に鳥肌が立ち、マイサンが縮み上がった。横っ面を叩かれるような強烈な気温の変化が、渾然とした脳内を撹拌し、澱んだ気を一掃させる。ハッとするほどの気分の変化。求めていたモノを手に入れた喜びもつかの間、何やら辺りを漂っている異臭が鼻をつき、余計にすぎる関心が、すっきりした脳内に蔓延り始めた。

先ほどとは毛色の違う気色の悪さ。たちまち気分を害した僕は、この原因を作った妙に甘ったるいその匂いの元凶に向けて、想いよ届けとばかりに盛大に、苛立たしげに舌を鳴らしながら、一体、こんな日曜の朝っぱらから、胸がむかつくような匂いを辺り一帯に出してるのはどこのどいつで、何を作っていやがるんだとベランダから目の届く場所という場所を睥睨しつつ、どことなく以前、嗅いだことがあるような匂いについて記憶を漁っていた。
似たような匂いを嗅いだことが確かにあると、記憶を司る海馬から信号が送られてくる。幾万ものファイルに綴じられた記憶をパラパラと捲っていくと、あるひとつの情景が脳裏に浮かび上がった。
都心の繁華街等に通じる駅のホーム。立ち食い蕎麦屋や売店、喫煙所などの中の、パン屋の姿。そこから漂ってくるあの何ともいえない匂い。これだ。パン屋だ。またはそれに近いモノに違いない。

そう確信した途端、本当にそうなのか確かめたくて仕方がなくなってきた。取るものもとりあえず、部屋を出、通りへとくりだした僕の目に、新規開店セールのノボリをかけた、こじんまりとしたスイーツショップらしき姿が飛び込んできた。近くに寄れば寄るほど、匂いは強くなってくる。ここに間違いない。どうやらまだ開店前のようだ。ウインドウ越しに、なにやら立ち働いている人の姿が見える。店の前に出された立て看板には、可愛らしいカップケーキの絵と、当店一押しチョコチップマフィンの添え書き。

なるほどマフィンが原因かと妙に納得し。何故か気落ちし。とぼとぼと部屋に戻り。窓とカーテンを閉め。黙々と起きた出来事を打鍵し。文章として組みあがっていく様をみるにつけ。テキストのネタが出来たと喜ぶべきかどうなのか、なにやら釈然としないシコリのようなモノを抱え、僕は今日を生きていく。
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病院に行く。の巻

休日等で街に出るとき、僕は、つばの深い帽子や、色眼鏡などで顔、というより、目を隠さないと、外を歩けない人間です。他人の目が気になる。それは多分に、容姿に対してコンプレックスを持っているがゆえの所作、なのでしょうが、あまり深く考えたことはありません。できればマスクも併用して、完全防備、とイきたいところですが、それではもう変質者にしか見えない、という自覚がございますので、使ってはいなかった。のですが、先日、ひどい風邪をひき、市販の薬ではどうにも治らないような気がいたしましたので、注射を打ってもらおうと、病院への道中、マスクを付けざるをえない状況に陥りました。咳が止まらないのだから仕方ありません。マスクに色眼鏡をかけた僕の顔は、三流コメディドラマに出てくるような、怪しさ満点のコソ泥のようで、そのあからさまな怪しさが、何故かツボにハマり、ひとしきり、笑いと咳の発作で喉を痛めました。

病院の選択肢は二つありました。近所の、こじんまりとした内科専門の町医者か、最寄の電車で五つほど駅を通過したところにある、大学病院です。近所の町医者は、子供の頃からのかかりつけといっていいぐらい、何度もお世話になったところなのですが、なにせ子供の頃からことあるごとに通っておりますので、院長先生とは顔見知りもいいとこでして、会えばしたり顔で小言を言う、そんな小うるさい爺のもとへは、とてもじゃありませんが、足が向きません。ですので、多少遠かろうが、大学病院へと向かいました。

出来ればタクシーを使いたかったのですが、そんな余裕はありません。熱と咳でフラフラとする身体にムチを打ち、何かいやな汗が上半身を伝う気色悪い感触、まさに我慢汁を流しながら、電車に乗り込みました。

電車の中は割と空いていて、座席は選び放題です。ですが、座るかどうか悩みました。何故かというと、以前、座席に座ったとき、後から乗り込み、隣に座ったおじさんの、すんだ体臭がきつくて、吐き気をずっと堪えていたことがあったからです。それからというもの、僕は電車では、どんなに空いていようと、必ず立ったままでいたのですが、このときは気だるさに耐え切れず、座ってしまいました。これで外れクジでも引こうものならしょうがない、その時は毅然と俯けになり、原因となった人物に向かってオロロロロとゲロを撒き散らそうと思っていましたが、幸い、そんなことには至らず、無事、電車を降りることができました。

駅から病院へはバスを使います。歩いていけない距離ではありませんが、ダルいのでバスで。ここでもすんだ体臭の持ち主に出会うのではないかと危惧しましたが、あいにくそんな人はいませんでした。実は、密かに期待していたのです。なぜか自虐的な気分になっていて、果たして今の僕は耐えられるのかどうか、試してみたい気持ちに、心が傾いていて、何事もなくバスを降りた際、思わず舌打ちをしたほどです。病気のときは身体はもちろんですが、心もおかしくなるのだと、振り返ってみて思います。

大学病院は休日ということもあってか、かなり混雑していました。それでもなんとか座席を確保し、長い診察までの時間、ぼんやりとしていると。ふと、前の座席にいる、綺麗な白髯のお爺さんと、四十ぐらいの男性の会話に、耳を奪われました。というのも、週刊誌のグラビアアイドルに対して、何やら話あっているようだったからです。


「うちの教室に来てた、ほら、○○さんに似とらんか」
「そう言われれば、確かに、似ているような気もしますが。娘さんでしょうか?」
「ん、歳も四十そこそこだったはずだから、娘かも知れんな」
「離婚して今は独身だという話ですから、娘さんがいたとしても、おかしくはありませんね」
「ほう、離婚を。ならお前にはちょうどいいんじゃないか」
「え? なぜですか」
「なぜということはなかろう。その歳で未だに独身というのはかっこがつかんだろう。美人だし、考えてもいいんじゃないか」
「いえ、先生、そう言われましても。僕なんか、とても相手にされませんよ」
「そんなことはやってみなくちゃ分からんもんだろう。大体、お前は意気地がない。だから未だに独身なんだ」
「まあ、そうなんですが。しかし、生徒さんに手をつけるなんて、とても」
「そう固く考えんでもいいじゃないか。これも何かの縁、ってやつかもしれんだろ」
「縁、と言われましても」
「おまえが妻帯してくれれば、安心して譲れるというもんだ。そろそろ隠居して気侭に生きたい、そんな老人の願いを、お前は無下にするのか?」
「いえ、はぁ、僕は――」

こんな会話だったと記憶しています。二人の関係はどうやら師弟のようでしたが、なぜ、こんな会話が記憶に残っているかというと、中年のおじさんが、お爺さんに対して、「僕」と言っていたからです。なぜ、「僕」なのでしょうか。「私」ではないのか?
いい歳をしたおっさんが、師であり年輩者に対して、「僕」と言う。そこに僕は微かな違和感を感じました。

「僕」という人称は、謙称である。へりくだり語である。弟子が師に対して用いるのは別段、おかしくはない。しかし、それは弟子が若い場合に限るのではないだろうか。爺まで秒読み態勢に入っているおっさんが、爺に対して「僕」とへりくだる。これはおかしい。なにかがおかしい。目上を敬うのは礼儀として当然である。んがしかし、必要以上におもねってはいないか。逆に、慇懃無礼、とまではいかないが、無礼ではないのか。会話を反芻するに、このおっさんは、爺に教室とやらを譲るとまで言われているのだ。とすると、おっさんの腕は師である爺に限りなく近いといえる。師に追いつくほどの腕なら、誇っていて当然である。誇りがあるなら、たとい師であったとしても、師に対して「僕」とは言わない。いや、言えない。師に対する侮辱であるといえる。なぜなら、そこには甘えが垣間見えるからだ。つまり、まだまだ及ばない、この先もご教授くださいと暗に言っている。断罪すべき軟弱さである。惰弱さである。僕はこのおっさんに対して、軽蔑という語以外に表現するすべを知らない。


とまぁ、今思うと不思議でしょうがないのですが、なぜかおじさんに対して、覚える筋のない怒りを覚え、色眼鏡の奥から睨みに睨み付けていました。不思議です。
そんなことを思いながら、診察を待ち、診察を受け、注射点滴を打たれ、薬を貰い、家に帰ってばたんきゅー。
Category: 日想  

先人に倣う

憎まれっ子世にはばかる、という言葉が示す通り、この世の中は嫌な人間で満ち満ちています。自分と良い関係を築けている、自己にとって良い人間なんて両手で足りる、それが大多数の人間の真実なのではないでしょうか。ヤなヤツとはできるだけ会いたくはないでしょうし、自分の過去の恥部を見知っている人間となると尚更でしょう。歳を重ねる度に、自分にとって都合の悪い人間のリストは連なっていく。嫌悪の多寡はどうであれ、リストに載るような人間ともう一度接点を持ちたいとは思わないのが当然でしょう。

が、しかし。偶然とは怖いモノ。つい先日、これは言えないし思い出したくもない、僕の最も恥ずべき部分を知る、ある人と久方ぶりに再会を果たしてしまったのです。出来れば避けて通りたかった人生の分かれ道。遭遇したくはない人との出会いに、どれだけ注意を払っていても、エンカウントしてしまうときはしてしまうモノなのだ、ということを身に染みて実感しました。あぁ、この世に絶対はないんだな、とも。
いくら強度の強いトヘロスをかけようと、何万分の一の確立で出会うときは出会ってしまうのです。難敵に出会ってしまったらどうするか。これがゲームなら逃走する事が無難でしょう。しかしこれはゲームではないのです。現実という、非常をもってなる世界なのです。ですから、間違っても「逃げよう」などと考えてはいけません。出会って五秒でトンズラ、なんて事をしてしまえば、知人から知人へと、どんな噂が流れるやしれません。想像してみてください。

「そういえば久しぶりにあいつに会ったけど、すぐにそそくさと逃げてったぜ。三十になって、少しはあいつもマシになってると思いきや、相変わらずしょうもないヤツだったよ」

なんて言われているかもしれないのです。想像するだにあんぐりぃ。断じて許せる事ではありません。
でたーみねーしょん。断固たる決意で、そんな可能性を持った未来など握りつぶさねばならないのです。

僕は戦う事を選択しました。眉間に皺を寄せようと押し寄せる嫌悪感をどうにか押し戻し、気を抜けば舌打ちを鳴らしそうな口元に笑みを浮かべる。にこやか、とは言えないまでも、悪感情を相手に悟られないぐらいの仮面を被ることに成功した僕は、先制攻撃を仕掛けました。戦いは先手必勝です。機先を制し、後顧の憂いを絶たねば、先の安眠は約束されない。挨拶もそこそこに、いかにも興味ありげな様子で、こちらからクソヤロウの近況を聞いてやりました。栄達とはいえないちっぽけな出世をさも栄達したかのように語るクソヤロウの心底どうでもいい話に耳を傾けながら、ふと大問題が目の前にぶら下がっていた事に思い当たりました。当然聞かれるであろう自分の近況をどう話せばいいのか、という問題です。仮定の未来で知人が言ったように、僕は相も変わらずしょうもない人間なのですから、事実だとしても言えるわけがありません。それでは戦う意味がないからです。僕は悩みました。皺の無い脳みそに皺を刻みつけるが如く。しかし、知恵熱を出しそうなほど頭脳をフル回転させても、これといって武器となるモノは見当たりません。嘘で真実を糊塗しようかなとも思いましたが、その場限りの嘘などすぐに見破られるに決まっています。どうしよう。どうすればいい。どうしたらいいのか。悩みに悩んだ挙句、パニックに至った僕がとった行動とは。


戦国の荒々しい時代を生き残った有名な大名たちには、共通したある一つの才能がありました。忘れる、という才能です。下克上の世に、裏切りは日常でした。義よりも利を重んじた世情で、うらみつらみは邪魔なだけなのです。昨日の恨みを忘れて、明日の命を買う。そうして生き残った戦国大名たちにとって、忘れるという特技は必須の要素だったのです。

だから僕も忘れることにしました。どんな行動をとったのか、今では思い出せません。連綿と織り成す記憶の回廊の一部は黒く塗り固められている。今後、僕がその一部を修復することはないだろう。


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