散文誌

日記・小説

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Category: 小説  

人の数だけ真実はある

ギャップってさ、ぶっちゃけ計算じゃね? 第一印象が悪くても、意外な一面を見せることによって相手の好感度を上げる、なんてさ、そもそも眼中にない奴と関わることって仕事ぐらいなもんだし、ギャップが恋愛に発展する可能性なんて無いに等しいし――

ん? 人による、だって? え、何、お前はそういう経験があんの? ――え、無い? 無いのになんで人による、なんて言えんだ? 

あ? ドラマの見すぎじゃね? ちったあ俺みたいにタメになる番組見ろよ、NHKのダーウィンが来た、超おすすめだぜ? あ? 興味ない? ああそうですか、いや別にいいんだけどね、誰かさんが好意を踏みにじって勝手に馬鹿になるのは俺のせいじゃないし? 

――え、何? あんたの恩着せがましいこと、ある意味ギャップだよな? あ? 何お前喧嘩売ってんの? いくらお前でも俺、キレちゃうよ? 

ん? まあ、俺とお前の仲だし、許してやってもいいけど? でもやっぱり謝罪の言葉がないとなあ、いくら菩薩の俺でも厳しいもんがあんだよなあ――ん? すまん? ごめん、じゃなくてすまん? はあ、まあいいや、許してやるよ、たくしょうがねえなあ、あーあ、気分ワリいぜったくよお……。

あ、つか何の話してたんだっけ? ――ああ、そうそうギャップだったな、ギャップ。まあなんつうの、おまえがそこまで疑うならしょうがねえ、とびっきりの話をしてやるよ。

もちろん、俺の経験上の話だけど、以前勤めてた食肉工場の会社で、シェフをしてた時の事なんだがな、あ、シェフっつっても実際に料理するわけじゃねえんだ、ただ死んだ牛や豚を解体するだけなんだがな、まあなんつうの、つまり隠語、ってやつ? そうそう、いわゆるスラングってやつだ、知ってるかおい?

知ってる? あっそ、ならいいや、で、シェフをしてた時なんだけどな、そん時の事務に、アラサーがいたんだけどな、あ、アラサーってわかるか?
最近流行の言葉なんだけどよ、いき遅れた三十路女の事なんだってさ、まあ、言い換えればただのおばさんだな、そいつがまあちっちゃくてよお、ちっちゃい俺の乳あたりまでしかねえんだ、ちっちゃえだろおい?
まあ、ちっちゃくても大した問題じゃねえ、いき遅れた理由としてはな。

実際、顔は悪かねえんだよ、目はちっと垂れ目気味だけど愛嬌があるし、鼻はスッとしてるし、ちゃんと化粧すれば美人の部類に入ると思う。けどよ、両足の膝したからねえんだ、可哀相だろ?

なんでも交通事故でひでえ轢かれ方したらしくてよ、そのせいかどうか知らねえが、えれえ暗らいし、あの義足の、人工物特有の違和感のせいで近寄りがたかったんだな。ま、なにより話しかけても最低限の言葉しか返さねえからあの日まで俺に取っちゃ空気みてえな存在だったんだよ。

まあ、そのあの日っつーのが、俺が工場を辞める事になった原因なんだけどな、そのまえに言っとくけどよ、俺はこれまで一度も嘘をついたことがねえんだ、おまえならわかるよな? 

嘘をつくなんて最低の事だし、人としてやっちゃいけねえことなんだ、それなのによ、あいつらときたら俺の言うことは信じねえくせに、あの女の言うことは信じるんだぜ? 

これまで一緒に働いてきた、言ってみれば家族も同然の俺よりも、あのぽっどでの障害女を信じるなんてよ、俺は心底奴らに幻滅したぜ、わかるよなこの気持ち?

つまり俺は一切嘘をついてねえのに、あの糞女のせいで罰を受けたんだ、当然冤罪だし、俺が刑罰を受けなきゃならないいわれはねえ。そこんとこ、よおく承知しておけよ。

そもそもあの日、あの女は既に勤務を終えて帰ってるはずだったんだ、終業が17時だし、障害者に残業なんてさせられねえしよ。

でもよ、あの日に限って豚、あー、課長のことなんだけどな、が体調不良で帰りやがってよ、ただでさえ怠慢な
事務の馬鹿共が仕事をサボる絶好の機会を逃すわきゃあねえんだ、当然のごとく業務が滞って残業の押し付けあいよ、醜いだろ? でよ、いつもなら真っ先に帰らしてもらえるはずのあの女が残業を押し付けられてな、残ってたってわけだ。

あの日はこっちのほうも料理、あー、つまり豚や牛な、が予定通りの時刻に届かなくてよ、俺も残業になったわけよ。うちの工場は零細も零細、業界の中じゃ底辺に位置するとこでな、社員なんて各厨房、あー、部署のことな、に一人か二人ぐらいのもんで、他はアルバイトの連中でな、またこいつらが使えないくせに態度だけは社員並みでよお、事あるごとに労働条件がどうたらこうたらで満足に使えねえわけよ、だから当然決められた時間以外は残業なんてやらねえし、仕事が残っててもそ知らぬ顔でお疲れ様です、なんて帰りやがる。

あの日も俺がそれとなく頼んだのにすたすた帰りやがって、そのせいで俺はいつもより三時間も仕事が長引いてな、ああクソ、思い出すだけでもムカつくぜ。

そんで、まあ夜遅くまで残ってたわけだ、当然事務の奴らなんていないと思ってたから作業着のまま生産報告書を出しに行ったんだが、ところがどっこい、事務室に明かりがついてるわけだ。

驚いた俺はバレねえように覗いてみたんだが、そこにいるんだよ一人、事務机に外した義足を立て掛けて、足がねえせいで余計ちっちゃく見える体をちょこんと椅子に乗っけて黙々と仕事をしてるあの女がよ。

あの女が残ってた事にも驚いたが、何よりも驚いたのは、普段無口で無愛想なあの女が、顔に薄っすら笑みを浮かべて何かを口ずさんでたって事だ。俺はたまげたぜ。幽霊でも見てるような気分だった。

なぜって、目に映るあの女が、あの女に見えないんだから。言ってる意味、わかるよな?

耳を澄ませてみると、微かに、子守唄のような優しい歌が聞こえた。ガキをあやす時に歌うような歌だ。

なんとも言えない気分だった。今思えば、目を奪われるってな、こういうことなんだなと思う。

それでしばらく見てたんだが、俺の視線に気づいたのか、あの女がこっちに振り向いた。

笑みを絶やさず、俺を手招きで呼びやがるんだ。俺は誘われるまま事務室に入り、女の傍に立った。いつもの陰気な感じではなく、どこか艶めかしさを覚える目の前の女のギャップに、俺は無性に性欲を駆り立てられた。

何度も言うが、俺は嘘をつかねえ。いいか、あの女から、誘ってきたんだ。俺はレイプなんてしちゃいない。
突っ立って女に見入っている俺の腕に、あの女は手をかけてきた。誘ってるんだな、と俺は思った。

なぜそう思ったのかなんて、説明はできねえ、けどよ、俺が抱きしめたとき、あの女は抵抗しなかった。
たっぷりとキスをした。服を脱がせるのがもどかしくて、手荒く剥ぎ取った。だから、レイプしたように見えたんだろうけどな。

あらわになった女の裸は、体に見合って貧相なものだった。痩せて、鶏がらの様だった。
それから、抱いた。激しく、いささか乱暴に。いつもは絶倫を誇る俺なのに、そん時は初めて経験したときのように早かった。三擦り半ってやつだな。こう言っちゃ何だが、あんな糞女なのに、とてつもなく良かった。

天にも昇るってやつあこんな感じかと思ったもんだ。何回やったかはわかんねえ。とにかく夢中だったからな。
終わった後は満足感と心地好い疲労感の中、俺は女を褒めたてた。俺が女の事を褒めるなんてそうそうねえんだ、
それぐらい良かった。あの女もとても良かったのか、放心してるみてえだった。

なに言っても反応しねえから、そんままほっぽって帰ったんだけどな、驚いたのは次の日の朝だよ、朝飯食ってる途中に誰か訪ねてきやがったと思ったら、マッポが手帳片手に俺の名前を聞きやがる。

一体なんで来たのかわからねえ俺は近くで事件でもあったのかと暢気に思ったもんだ。ところがだ、婦女暴行容疑で署まで来い、なんつってやがる。

その日二度目の驚きだ。最初は何のことかわからなかった。人違いだと思ったね。けどよ、よくよく聞くうちに、
あの女が被害者らしいとわかった。それでも、俺は暴行なんてしちゃいない、あれは同意の上での事だったし、
なにかの間違いだと思った。
でもよ、マッポの糞野郎が言いやがるんだ、あの女が俺を名指しで立件してる、てな。

何度もしつこく言いやがるから、とりあえず工場に連絡して、署まで行ったよ。当然だろ? 
俺は暴行なんてしちゃいないんだから。久しぶりに入った取調室は、10代の、暴れてた頃の記憶と変わりなく、殺風景で狭かったぜ。

身体検査のあと、指紋やらDNAを取られたな。あ、DNAって知ってるか? なんでも、細胞から本人かどうか特定できるらしいぜ、スゲえだろ? 細胞っつっても、歯ブラシみたいなのを口の中に入れて、頬のところを何回か掻くだけなんだけどな。

それからはやったんだろう、やってないの言い合いだったな。腕っ節は使えねえから、口だけ、子供の喧嘩みたいなもんだ。

そんでDNA検査の結果が出た。当然、俺と一致したよ。やったことは事実だし、検査に文句はつけられねえけどよ、
暴行はしちゃいねえんだ、俺は何度も訴えたよ、あれは同意の上だったってね。でもやつらはそんなことはお構いなしだ。

とんとん拍子に話は進んでいき、おりゃあ今豚箱にいるってわけよ。豚を料理してたやつが豚になるってなどんな皮肉だろうなあ?

とまあ、俺の話はこれで終わりだ。俺は嘘をついてねえし、これは冤罪も冤罪、大冤罪なんだよ。

おまえは信じてくれるよな? な? 弟だもん、当然だよな? な?

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Category: 小説  

記憶の邂逅

 「お嬢さん、落としましたよ」
 蒸し暑い真夏の午後、シャツにじっとりと汗を滲ませながら、保育園に通う娘の迎えに遅れまいと、足早に最寄りの駅へと向かっていた私を、しわがれた声が呼び止めた。
 振り返ると、グレーのスラックスに白いシャツを着た温厚そうなお爺さんが、私のハンカチを手に、微笑を浮かべている。
 「あら、どうもすみません、急いでたものですから……。ありがとうございます」
 そう言って老人の手からハンカチを取ろうと伸ばしかけた手を、緩慢な動作で老人が手を挙げ、遮った。
 「違う違う、これはわしのだよ。お嬢さんのはほれ、これじゃよ」
 老人はそう言うと、四つ折に畳まれたハンカチを広げ、中のものを見せようとする。
私は内心むっとしつつも、老人が私のハンカチに何を包んでいるのか、不思議に思い見てみると、それは透き通った綺麗な海のように青い飴玉だった。
 「お嬢さんの落としたモノは、きっとこれのはずだよ」
 老人はそう言って私に飴玉を手渡すと、くるりと踵を帰し、去っていこうとする。
 「ま、待ってください。私のハンカチを返して、この飴玉はお爺さんのでしょう?」
 そう慌てて問い掛けると、老人はゆっくりと振り返り、夢を見ているような奇妙な表情で静かに語りだした。
 「忘れたのかい?お嬢ちゃんの大好きな飴玉の味を。思い出してごらん、お嬢さんが小さな時分、近所の森に住んでいた小さなおじさんの事を。
ほりゃほりゃ、思い出してごらんよ、小さな小さな、おじさんを」向かいの家?小さなおじさん?この老人は一体何を言っているのだろう?
 「哀しい事だけれど、お嬢さんが忘れるのも無理はないのう、何せ儂達は異質な存在だからね。
でも、お嬢さんがひとたび思い出せば、あの頃のようにまた必ず来たくなるはずじゃよ、儂達の小さな小さな理想の庭へ。さあ、その飴玉を味わってごらん、そうすれば思い出すはずじゃよ、ひひ、さあさあお食べ、さあお食べよ」
 老人はきちがいじみた言葉を発しながらゆっくりと近寄って来る――徐々に小さくなりながら。
一歩一歩、足を運ぶ度に、小さくなっていく。やがて老人は手の平程の大きさになり、私はその非現実的で奇妙な光景を、ただただ茫然と見つめていた――


 ――おいでよおいでよ妖精達よ、食べてごらんよ儂の飴玉、甘くて美味しい夢の飴玉、さあさあおいで、さあおいで――
 ……唄が聴こえる。しわがれた声が囁くように唱和するその唄は、私に懐かししさと、不安感を思い起こさせた。どこで聴いたのだろう?誰が唄っていたのだろう?この唄は――


 ――気づくと、私は森の中にいた。鬱蒼と繁った木々のせいか、辺りには微かに闇が忍び寄り、その闇を縫うようにして、茜色をした木漏れ日が差し込んでいる。
頭上を見上げると、木の葉の隙間から見える空は色鮮やかな朱色に染まっていて、森の中は幻想的な雰囲気に満ちていた。
 「駄目だよ、ケイちゃん、お母さんに怒られるよ」
 「大丈夫だって。おばさんには内緒にしてればいいんだし。ちょっと行くだけだから。いいからおいでよ」
 幼い子供の声に振り返ると、小学校低学年ぐらいだろうか、二人の女の子がいた。好奇心に顔を輝かせ、森の奥へと歩んでいく勝ち気そうな少女と、
その少女の腕にしがみつき、既に泣きそうな顔をしている内気そうな少女。二人は私のすぐ近くに立ち止まると、誰かに聞かれてはまずいかのように、小声で話しはじめた。
 「このへんだったよ、確か。妖精さんはどこにいるのかな?」
「本当にいるの?私怖いよ、ケイちゃん」
 「大丈夫だって、私がいるんだから。じゃあ呼ぶよ?――妖精さん妖精さん、私達と遊ぼうよ!」
 ケイちゃんという少女がそう叫ぶと、木から何かがぽとりと地面に落ちた。それは、手の平に収まりそうな大きさの、小さな老人だった。
 「ほうほう、ひひ、おやおや、誰が来たかと思ったが、可愛らしい妖精達だったとはの。ひひ、もしや、儂を呼んだのは、お嬢さん達かい?」
 「そうよ。でも、私達は妖精じゃなくて人間よ。あんたこそ妖精でしょ?……とてもそうは見えないけどさ」
 「ふむふむ、ひひ、生意気な妖精じゃて。まあいい、まあいい、せっかくの訪いじゃ、鷲の飴玉を、ひひ、お食べよ」
 老人はそう言うと、腰ぎんちゃくから小さな小さな青い飴玉を取り出した。
 「ふーん、それが飴玉、ね。でも、私が見たのはもっと大きかったけど」
 「おやおや、この前来たひひ、妖精に飴玉をあげたとき、覗いとったのはおまえさんじゃな?ひひひひ、悪い妖精じゃ、悪い妖精じゃ」
 老人はそう言うと、ケイちゃんに飴玉を投げ渡した。ケイちゃんが飴玉を掴み、手の平を広げてみると、それは私達にとって馴染みぶかい大きさへと変貌を遂げていた。
 「うわあ、すごい、どうやったの?これが飴玉かあ、綺麗だね」
 ケイちゃんはそう言うと、飴玉を口に入れようとする。不気味に笑いながらその光景を見守る老人と、止めようとする内気そうな少女。
 「駄目だよ、食べちゃ駄目だよ、ケイちゃん」
 ――食べちゃ駄目、駄目だよケイちゃん。
 私と内気そうな少女思いが重なり――食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目食べちゃ駄目――


 「――駄目、駄目だよ!」
 「な、一体どうした、やっと目覚めたかと思えば飛び起きたりして」
 ここは――? 声のしたほうへ顔を向けると、そこにはケイちゃんがいた。逞しい男性のケイちゃんが。
 「大丈夫か? お前、突然倒れたらしいんだよ。それを見てた人が救急車を呼んでくれてさ、会社に連絡があったときはびっくりしたよ」
 ケイちゃんの声に、私は辺りを見回した。白い壁、白いベッド、そしてあの独特な消毒の臭い――ここは病院だった。
 「おい、本当に大丈夫か?」
 ケイちゃんは心配そうに私の顔を覗き込む――子供の頃からずっと一緒だったケイちゃん。初めてキスをした日、恥ずかしげに顔を赤らめ、好きだよと言ってくれたケイちゃん。初めてエッチをした日、緊張し過ぎて起たなくなっちゃったケイちゃん。
プロポーズをしてくれた日、言葉を噛みすぎてしどろもどろになっていたケイちゃん。娘のまいの妊娠を知らせた日、飛び上がるほど喜んで、テーブルにしたたかに膝を打ち付けたケイちゃん――私の胸に大切にしまわれた宝物の記憶の中で、ケイちゃんはいつも男性だった。
 でも、記憶の底に沈められていた幼年期の断片が、私に少女だったケイちゃんを思い出させた。姉のようだったケイちゃんは、少女だったケイちゃんは死んでしまったんだ――そう思うと、私の目に涙が溢れ、哀しみの波にさらわれるまま頬を濡らした。
 「お、おいどうした?大丈夫だよ、検査の結果は軽い貧血だって事だしさ。あ、そうそうマイなら今看護婦さんと一緒にトイレに行ってるよ」
 ケイちゃんのその言葉を待っていたかのように、マイが看護婦さんに連れられて病室に入って来た。
 「あ、お母さん!」
 マイは私を見るなり、驚きと喜びが入り交じった表情を浮かべ、ベッドに駆け寄って来ると、私の手にしがみついた。
 「ごめんね、心配させて。もう大丈夫だからね」
 マイは口をモゴモゴさせながら「マイはだいじょーぶだよ」と言う。何を食べているのだろう?私の怪訝な顔に気づいたのか、ケイちゃんが答えをくれた。
 「さっきまでメソメソしてて困っててさ、何かおやつでもやろうかと思ってお前のバックの中を見てみたら飴玉があったから。飴玉を食べてるんだよ」
 飴玉?飴玉って――マイが口を開けて中のモノを見せようとする。そこには、綺麗な海のように透き通った青い飴玉があった。
 「だ、駄目、食べちゃらめえぇぇぇぇぇ!」
Category: 小説  

paraphilia

 使われなくなって久しい旧校舎の一角にある、薄暗い体育倉庫のなかで、人の姿をした一組の動物が交わっている。体育用具の放つ独特な臭いと、動物共が放つ激臭が混ざり、混沌としたその空間に、畜生の浅ましい息遣いと鳴き声が響き、微睡んでいた少年は目を覚ました。
 生来の不器用さと人見知り、そして奇特な性格から、孤独な学校生活を送っていた少年にとって、休み時間に訪れるこの場所は、殺伐とした日常に平穏を与えてくれるオアシスだった。
 そこへあらわれた一組の男女は、知性ある人間とは思えない、傍から見れば獣めいた、とても汚らわしくみえる行為に耽り、跳び箱の影から覗く少年の存在には気づいていない。
 僕の憩いの時間を台無しにし、あまつさえ聖なる学び舎で肉欲に溺れようなんて、破廉恥な輩は一体だれだ?
 もっとよく見ようと、跳び箱の影から心持ち、少年は身を乗り出した。
 さあて、こんな場所で性欲を発散させるお下劣な男はダレ――ってウソ、秀才君? とすると、女ノコは当然――うん、やっぱり委員長だ。へえ、しかし意外だな、あの品行方正なお二人がね……。で……何をやってるんだろう?
 「ん……ん…んっん」
 少年の眼前で、二人は抱き合い、口づけを交わしていた。時折、傍らに置かれたパックから得体の知れない内容物を掬い取っては、口移しで相手に食べさせている。その内容物はとてつもない臭気を発散させていた。先天性の臭不全の所為で、少年はその異様な臭いに気づくことは無かった。
 「っん、ああ、おいしい……。ケンチャンの言うとおり、タンパク質を十分に摂取するだけで、こんなにも芳香で濃厚なモノになるなんて」
 「必要な要素を取り込めば取り込むほど、果実は毒々しく実っていくもんさ。それに、ただ質がいいってだけじゃないよ? 僕と美咲を紡ぐ真実の、いや永久の愛という隠し味があるからこそ、ただの嗜好品が、至高の一品へと変わるのさ」
 至高の一品だって? あのどす黒いモノが? 一体なんなんだろ。ここからじゃ良く見えないな、もうちょい近づく? でも見つかっちゃうと困るしなあ。あーあ、せめて匂いが分かればいいのに。
 「ふふ、嬉しい。ケンちゃんたら、いつにもまして雄弁ね。じゃあ、次は私のを食べてえ」
 少女は、その所有者に相応しく、可愛らしい装飾の施されたパックから内容物を口に含むと、まるで芳醇なワインを楽しむように、しばらく舌で転がしてから、口づけを交わした。少年には分からない激臭を、辺りに漂わせながら。
 うわ、またやってる。それにしても口移しだなんてなんだか気持ち悪いなあ。普通に食べればいいのに。でもすごく気持ちよさそうな顔してる。そんなにいいもんなのかな? 今度僕もやってみようかな、パトラッシュ相手に……うへえ、やっぱやめよ。
 「っん、ああ、いい、おいしいよ美咲。でもね――これ、何だと思う?」
 彼は口の中から何かを取り出すと、美咲に突きつける。人差し指の腹に乗った、小さな残骸は、消化不良のグロテスクな肉塊だった。
 「あ、だめ、見ないでえ」
 「いや、そんなわけにはいかない。見てごらん、皮、というよりも皮だったもの、と言ったほうが適切かな。これは君の不実の証だよ。そもそもあの偶然の出会いから――」 
 なにか口から出したけどよく見えないや。なんなんだろ。それに不実って? なんかもう色々と訳ワカメ。つうか突然だけどうんこしたい。やばい。早くで照ってくれないかなあ。
 「そんな、不実だなんてひどいわ。さっきの言葉はウソだったの?」
 「さっきの? ああ、僕らを繋ぐ赤い糸――「違うわ、私たちを紡ぐ永久の愛、よ」
 「ああ、いやパターンを変えただけで、意味は一緒だよ。しかし意外だな、君が愛なんていう曖昧な概念に固執するなんて」
 「何が言いたいのよ。ねえ、私を愛してないの?」
 「馬鹿だなあ、もちろん、愛してるよ。僕が殊更に歯の浮くようなセリフを言ったのは、人間には少なからず、
短絡的なある種の連想癖があるからなんだ。例えば、ある人が好意を寄せる相手の好物がカレーだったとする。
するとその人は、好悪の区別に関係なく、カレーを好きになるものなんだよ。つまり、好きな人が好むものは、
例外なく好きになるものなんだよ、それが一時的な錯覚に過ぎないとしてもね」
 何を言ってるんだろうこの人は。愛がどーのこーの、そういうのはもっとロマンてっくな場所でやってもらいたいね。ああ、漏れそう……。
 「よくわかんないけど、私のこと愛してるって、信じていいの?」
 出したくない、出したくないのに……!
 「もちろんだよハニー。僕の心には、君という大きな楔型が打ち込まれていて、他の人間が入り込む僅かな隙間もありゃしないよ」
 「うれしいわ、ダーリン」
 ああ……もう……出しちゃってもいいよね? パトラッシュ……。
 世に在る恋人同士によく起こる、痴話げんかのはての愛の嵐は、常識から照らすと異端なるこの二人にも例外なく適用され、情熱に突き動かされるまま、ひしと抱き合い、熱烈な接吻を交わし始めた。しかし、場所柄さえ良ければ微笑ましいといえる恋人たちのひとときは、少年の股間から放たれる、人間の生理現象が生み出す最も大きな音によって、ぶち壊された。
 「え……? だれか、居るの?」
 「あれは僕らにとって馴染み深い音色だな。だれだ、そこにいるのは!」
 二組の双眸が、闖入者の隠れているほうへ向けられる。こうなっては仕方ないと、観念した少年は、おずおずと姿をあらわした。
 「えっと……その……」
「おや、君はワタライ、くん、だったかな? うん、そうだ、渡り会うと書いて度会。いやはや、君のアイデンティティには相応しからぬ名前だと思っていたが、そうでもなかったようだねえ」
 「やだ、どうしよう。ねえ、どうしようケンちゃん」
 「落ち着け、美咲。大丈夫だよ、渡会君は話の分かる人さ。渡会君がここで見たことを言うとは思えない。
だって、彼が僕らを敵に回すとは思えないから。そんな得にもならない、返って今よりもさらに悲惨な日々を
送る原因を彼が自ら作るとは思えない、思えないよ、ねえそうだろ、渡会君?」
 まるで蛇のような、偽りの微笑みの下に隠された毒牙に、少年は今まで感じたことの無い、異質な恐怖を感じた。だめだ、逆らっちゃ――蛇ににらまれた蛙のように縮こまった少年は、ただうなずく事しかできなかった。
 「ほらね? 渡会君は人見知りがちな性格から誤解されやすいようだけど、本当はとても心の広い、優しい気質の持ち主なんだよ。
だから、たとえ誰かに脅されようと、僕らの秘密について、決して口を割らないよ、そうだろ? ワタライ」
 少年はオウムのようにうなずく。蛇の逆鱗に触れたくないがために。
 「ああ、よかったわ。一時はどうなるかと思ったけど。信じていいよね、渡会君?」
 「おいおい、言わずもがななことを言うんじゃないよ美咲。もちろん、渡会君は僕らの信頼を裏切るような真似はしないよ。……でも、もし裏切ったら……許さないよ?」
 少年の萎縮した反応に満足したのか、彼は連れを伴い、この場を去った。今にも泣き出しそうな少年を残して――。


 それからというもの、これまで執拗に少年の周りに蔓延っていた陰湿ないじめの影は消え、
依然より平穏な日々を過ごせるようになり、オアシスを求めてさまよう事も無くなった。
しかし、その人間性ゆえか、大きな障害の無くなった今でも、少年は孤独だった。
 いいんだ。一人は慣れてる。でも――と、少年は折りある毎に思うのだ、一体、彼らは何を食べていたのかと――

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当たり前のこと

 この胸の暑い鼓動はなんだろう。この言い知れぬ高揚感はなんだろう。心が、躍る。気持ちが、逸る。
子供の頃の遠足を思い出させる、この懐かしく久しい感情に、どんな名前を付けようか、私は迷う――
なんてセシルっぽく考えたところで、しょせん無学な僕に思いつくのはせいぜいウキウキ気分といった
ところだろう。ウキウキよこんにちわ。
 北国を走る臨時バスの中は、乗客もまばらで、僕は一番後ろの座席に腰掛けていた。手には今日の午
後、ウェルシティで行われるKSK――好青年機械化期間、通称かそくのプレミアムチケットがあり、
それが僕を有頂天にさせていた。
 顔に滲み出る愉悦が、僕の端正な面を醜く歪ませる。興奮を冷まそうと、曇った窓を指でふきふき、
できた隙間から外を覗いた。雪化粧によって白銀と化した町並みを眺めていても、どうにも緩みがちな
顔はどうしたものだろう。僕の自制心はこんなにもへなちょこなブレーキだったのだろうか。ここが僕
のテリトリーなら、我慢なんてせず心のままに振舞うところだけれど、このバスと言う名の駆動機関は
社会通念で言うところの公共の場だ。そんなところで空想に耽りニヤニヤ笑う、なんて変人極まりない
行為をとるなど、いやはや、僕にはとてもとても。君たちもそう思うだろ? と、チケットに映し出さ
れている可憐な少女たちに問いかけてみる。
 「ううん、そんなこと! 私――」
 「思わない、とでも言うと思った? 残念でした、この変態!」
 「気にしなくて良いんじゃない? 人生なんて楽しんだ者勝ちよ」
 やはりルイズは優しい。君を連れて来て良かった。それに比べて、ドーラのなんと辛辣なことか。
ヴぁリエールは――うん、ヴぁリエールだ。
 「おバカさん達はほっといて、あなたは、その、とても素敵だと――「ちょっと待って、おバカさん
"たち"ってどういうこと?」
 「ふん、子供に、それも馬鹿に馬鹿と言われてもね。そんなことより、ほんとにいいの?」
 ルイズとドーラが睨み合う横で、ヴぁリエールは澄ました顔で僕に問う。良いも悪いも、もう決めた
ことだ。どうしようもない僕のような人間は、こうでもしなきゃ変わることなんてできない。例えそれ
が、人間をやめることになるとしても。
 「機械化されてしまえば、どんな事態に陥ろうと、あんたは好青年としての対応しか取れなくなる。
それがどういうことか分かる? あんたは、あんた本来の個性、意思を失くすってことなんだよ。それ
がどれだけ大事なことか、あんた本当に分かってんの?」
 そんなこと、言われなくても分かってるさ。中学時代のいじめから不登校になり、そのままずっと引
きこもったままの僕のような屑は、どんなにがんばっても手遅れ、人並みの人生なんて送れないのは分
かりきった事じゃないか。そんな無駄な生を生きるぐらいなら、僕は好青年に生まれ変わって、社会の
歯車の一つになりたい。
 「これは、最後のチャンスだと思うんだ。僕が変われる、最後の。だから手放したくない。それに、
かそくからチケットが来た時点で、僕に構成の余地はないよ。彼らは、僕のように”終わった”人間に
しかチケットを送らないから」
 そう、僕に更生の余地はない。国家権力を盾に迫る彼らの保護対象人物に選ばれた者に、逃げるすべ
等ないのだから。
 「――もう、痛いじゃない、いいかげんにしてよね!」 
 「あれあれえ、地が出てきたじゃん、ぶりっこはもうおしまーい?」
 「っ! もおう怒った、後悔させてやるんだから!」
 いつのまにか、ルイズとドーラが取っ組み合いの喧嘩を始めている。止めさせようと発しかけた声を、
ヴァリエールの問いが遮った。
 「でも、選択は二つあった。なのに、あんたは機械化を選んだよね。なぜ?」
 「そんなの、考えるまでもないよ。一つは、自分を失うけれど、機械化され社会に貢献する道。もう
一つは、地獄とまで呼ばれる訓練施設で、徹底的に矯正させられる道。僕は、苦しみに耐えられるとは
思えないから。きっと自殺を選ぶと思う。それなら、機械化されて、社会に、母さんに恩返ししたほう
が何倍もましだよ」
 「……母さんに、か。あんたの父さんも、あんたが立ち直ったら、嬉しいだろうね」
 「……うん、僕もそう思うよ」
 父さんが生きていたら、僕に何て言ったのだろうか。がんばれ? 負けるな? ふふ、きっと励まし
てくれたんだろうな。うん、変わらなきゃ。母さんのためにも。自分のためにも。
 「もう、何を言っても、あんたは聞く耳を持たないんだろうね。いいよ、もう。分かってた事だし、
駄目元で言ってみただけ。行けばいいよ、私たちのことは忘れて。機械になって、私たちが分からなく
なればいいんだ――いけ! 勝手にいっちゃえ! このバカ!」
 ヴァリエールはそうまくし立てると、僕に背中を向け、さめざめと泣き出した。その光景に、取っ組
み合っていたルイズとドーラは喧嘩を止め、きょとんとヴァリエールを見やる。
 「ヴァリ、どうしたの? なんで泣いてるの?」
 「ヴァリが泣くなんてはじめてみた。一体どうしたの?」
 『終点、好青年機械化前、好青年機械化前』――車掌のアナウンスが車内に響き渡る。しばらくして、
バスは停留所に止まった。さあ、もう行かなくちゃ。
 「最後に、君たちに言って置きたいことがある。僕なんかのそばにいてくれてありがとう。いつも、
楽しい時間をありがとう。君たちがいてくれたおかげで、僕は寂しくはなかった。ルイズ、君のおかげ
で、僕はいつも元気でいられた。ドーラ、君のおかげで、僕はいつも楽しく過ごせた。ヴァリエール、
君のおかげで、僕はいつも安心していられた。ありがとう。本当に、ありがとう」
 言い終えると、ルイズとドーラの声を尻目に、僕はチケットをポケットにしまった。それ以上彼女た
ちを見ていられなかったから。泣いてしまいそうだったから。ヴァリエールは最後まで振り返らなかっ
た。震える肩に、彼女の思いが詰まっていた。
 外から、案内人らしき男の怒鳴り声が聞こえる。行かなくちゃ。さよなら、ルイズ。さよなら、ドー
ラ。さよなら、ヴァリ――「おい、あんた! 終点だよ!」
 怒鳴り声とともに肩を激しく揺さぶられた僕の目に飛び込んできたのは、機嫌の悪そうなおじさんの
顔だった。
 「終点、厚生年金会館前だよ。まったく、いい若いもんが居眠りなんてしてんじゃないよ。さ、とっ
とと降りた降りた」
 厚生年金会館前? 居眠り? さっきのは――夢? え、夢?
 「ほら、早く早く」
 僕はおじさんに促されるまま、席を立ち、代金を支払い、バスを降りた。そうだ、チケット――ポケッ
トから取り出したチケットには、ファンの間でかそくと愛情を込めて略されるアイドルグループの少女達
が愛嬌を振りまいていた。確かめるまでも泣く、そのチケットはただの印刷物で、彼女たちが動くわけも
なかった。
 前方の入り口前には、開場を待ち構えるファンたちでごったかえしていた。僕は頭を一度強く振り、ゆっ
くりと歩き出した。



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