散文誌

日記・小説

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お題バトン『りんご飴』

りんご飴といえば、祭りなどの縁日ぐらいでしかお目にかかれない、まずまず珍しい代物ですが、先日、毎年のお決まりの行事として、一家総出で近所の大きな公園へと花見に行きまして、そこでりんご飴を目にする機会がありました。
今年は近くに移り住んできた姉夫婦も同席と相成りまして、両親や祖父母と共に酒宴の狂態、下戸の僕は適当に酔っ払いどもへ相槌をうちながら、姉夫婦の一人娘、今年小学一年生になる姪っ子のめいちゃん(仮)が退屈しないよう、女衆からの半ば強制的な命令もあり、従者、セバスチャンの役を担うことになったのです。

普段なら齢三十のおっさんが、りんご飴を食べよう、なんて思考の片隅にも浮かばないのですが、めいちゃんの小さな手を引きながら、屋台を見回っていると、「おじちゃん、あれあれ!」と、めいちゃんがある一つの屋台を指差しました。そこはりんご飴を売っている屋台でした。飴細工に縁取られたりんご飴は、屋台の明かりを受けて煌めいていて、縁日独特の雰囲気のせいでしょうか、ただのりんご飴が、実際以上に眩く見えました。めいちゃんはその輝きに見ほれたのでしょう。めいちゃんに催促され、めいちゃんに一つと、僕も一つ買う事にしました。

綺麗だから食べるのがもったいないね、なんて言いながら一舐め。甘いなぁ。二舐め。ただの飴だな。三舐め。もうけっこうです。といった按配でしたが、めいちゃんは美味しそうに食べていました。そのニコニコと幸せそうな顔を見て、何故でしょうか、悪戯心が芽生えてきました。決して、めいちゃんのせいでただでさえ寂しい懐から、ただの棒と化したりんご飴などというゴミを買ってしまった事を逆恨みしているわけではありません。僕は親戚として、めいちゃんを愛していますし、年端もいかぬ子供にあくどいことをして泣かせるような、たちの悪い大人では決してありません。

では、可愛い嘘ならどうでしょうか。その場限りの一夜の夢というモノは、女性には好評だと風の噂に聞いた事があります。僕は今年が始まって以来、初めて真剣に悩みました。可愛い嘘とはどんな嘘か。可愛い、嘘。カワウソ。ネコ目イタチ科カワウソ亜科に属する哺乳動物。泳ぎが得意であり、水中での生活に――などと、あっちこっちへ寄り道する脳裏に、突如天啓が舞い降りてきました。

それというのも、僕は考えながらリンゴ飴を頬張り、齧ったときに、ズキンと歯痛がしたのです。リンゴ飴とズキン。ズキンズキンドキンドキン。リンゴ飴と、ドキン。そう、僕が連想したのは、アンパンマンのドキンちゃんです。リンゴ飴をよく見てください。どことなくドキンちゃんに似ているではありませんか。これだ! と思い、僕はめいちゃんにドキンちゃんの由来をまことしやかに説明しました。

曰く、作者がドキンちゃんを思いついたのは僕と同じような体験をしたから。
曰く、ドキンちゃんが赤色で角があるのは、リンゴ飴をモデルとしているから。
曰く、ドキンちゃんが天真爛漫なのは、モデルとなったリンゴ飴が情熱の赤だから。

そういった嘘をまことしやかに語ると、めいちゃんは大いに喜び、楽しんでくれて、帰り道、姉からお褒めの言葉を賜るなど、僕としても記憶に残る日となりました。

それから、しばらくして。家で食っちゃ寝を繰り返す僕に母が小言を言っている時に、姉から電話がありました。僕はこれ幸いと別室に逃げ込み、姉の話に耳を傾けると、どうやらあの花見の日、めいちゃんにした可愛い嘘の事のようです。怒られるかなと一瞬、肝を冷やしましたが、姉の口調は上機嫌でした。おやおやおかしいぞと思いながら姉の話をよくよく聞いたところ。
どうやら僕の可愛い嘘のおかげで、クラスメイトの女子とお友達になれたのだそうです。姉からありがとうと感謝され、どこか居心地の悪さを感じながら、適当に相槌をうち、電話を切りました。
僕の可愛い嘘が、めいちゃんに幸福をもたらしたのなら、これは嬉しい事です。しかし、のちのちこの可愛い嘘が、めいちゃんにとって災いになるやもしれません。本当のことを言うべきでしょうか。それとも、このまま黙っているべきでしょうか。今年二度目の真剣な悩みです。僕はしばし虚空を注視したあと、オナニーをして忘れる事に決めました。
決して、逃げているわけではありません。考えてもみてください。嘘だと言ったところで、笑っているめいちゃんの顔にひびを入れるような真似を姉はしないでしょうし、どうせバれたところで、大した事はないと思ったのです。古来より人は困った事があれば、天の配剤に委ねていました。僕も、それに倣っただけのことです。大したことはない、きっと、めいちゃんの未来は明るい。あんなに可愛らしい子の未来が、暗かろうはずがないじゃありませんか。
ですが、嘘はいけません。大小の差はどうであれ、多くの嘘は人を不幸にします。戒めましょうね。




という、妄想のお話でした。
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Category: 日想  

つい今し方、背中に張り付きそうなほど飢えた腹に飯粒をかきこみ、人心地ついて一言、「あぁ食った。満腹だ」と満足の声をあげたのですが、ここ最近、向上心なるモノが芽生えつつある僕の中に、「ちょっ、待てよ」と、ある一つの疑問が湧いてきました。

この程度の飯で、おまえは満足なのか、と。満ち足りるのか、と。

この程度の、飯。白米、缶詰の魚の蒲焼き、即席味噌汁が並ぶ食卓は、確かに、この程度の飯、と吐き捨てることの出来る献立です。しかし、飢えたジャッカルと化した僕には、この程度の飯でも充分すぎるほどでした。それはなぜか。腹が満ちればいいと思っていたからです。内容は問わない。飢えを満たせさせすればいいんだ、と。ですがこれでは、本能を満たしただけと言えるでしょう。上昇志向に目覚めつつある新しい僕には相応しくありません。だって考えてみてください。本能さえ満たせば満足などと、それではまがりなりにも霊長類のトップに君臨するホモサピエンスの行いとは思えないではありませんか。動物に等しいただの獣だと、自分で自分を汚辱しているのです。そう思うと、沸々と過去の自分に怒りが湧いてきました。何をやっているんだと。行動名詞にことごとく「惰」の付く行いばかりしてきた自分を叱ってやりたい。罵ってやりたい。このっ、このぉ、と、一足数万円はする革靴で顔を踏みつけてやりたい。しかし、そうして血反吐を撒き散らして気絶した過去の自分を前にして、僕は僕自身に手をくだせるのでしょうか。人を形作るモノは過去です。連綿と続く記憶の織物が、僕という存在なのです。それをすっぱり断ち切ってしまったら、果たして僕は僕でいられるのでしょうか。

お前のような奴がいるから戦争は終わらないんだ、死んでしまえ! と、カミーユがいみじくも言っていたように、腐った根を取り除かない限り、この堕落と向上の存続を賭けた戦争は終わることはないでしょう。この相容れない二つの要素を共存させうるとするならば、時間割を決めて、一日の行動を徹底的に縛るしかないのではないでしょうか。自己を完璧に律することのできる、ロボットのような人間。それが、僕が見出した自己のあるべき姿なのでしょうか? ……とてもじゃありませんが、そんな人間に成れる自信などありません。

そもそも、食事の贅貧の話が、なぜここまで大きくなってしまったのでしょうか。どうせ腹を満たすなら、良いモノを食おう。ただそれだけの話じゃありませんか。

「一生の間、食事を何回取れるかと考えると、そう多くはない。なら、毎回美味しい食事を取ろうじゃないか」

そう、嵐の櫻井くんが言っていました。僕もそうしようと思います。ちゃんっちゃん。
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2ちゃんねるのとあるスレッドに、こんなレスがありました。

「日々を楽しく生きるコツは、ポジティブな感情を表に、声に出して生活すること」

よくある、自己啓発の類です。一見、馬鹿げた方法に見えますが、これはもしかすると最高のポジティブシンキングかもしれません。とりあえず想像してみてください。

あなたは道を歩いていました。ふと横を見ると、自販機があります。あなたは若干の喉の渇きを覚えましたが、買うほどでもないかな、と道端で少し逡巡しているとき、ふと自販機下の路面に何かが光っているのが見えました。何だろうと手に取って見ると、それは百円玉でした。あなたはこれも巡り合わせかと思い、飲み物を購入しました。

例えばこんな場面があったとして。レスの通りに感情を表に出すとすると、まず百円玉を見つけた時点で「えっ、うそっ! やっだラッキー!」といった具合に、声を大に、もちろん満面の笑みを浮かべて、その喜びがたとえミクロン単位の極小規模だったとしても、百万円を拾得したかのように喜ばなければなりません。こう書くと、大げさに聞こえるかもしれませんが、そもそもこの方法が何を目的としているのかを考えてみてください。日々を、楽しく、生きる、ですよ皆さん。注目してください。楽しく、とあるでしょう? 他人から見て、注視しなければ分からないようなミクロリアクションでは、楽しいとは言えないんです。いやいや、楽しいよ? などと仰る方もいるやもしれません。確かにそうかもしれません。十人十色、人はそれぞれ感じかたも違えば、考えも違います。ですが、ソレではダメなのです。なぜ、なにゆえポジティブな感情を曝け出すのか、そこをもっと真剣に考えてみてください。
いいですか? まず第一に、感情表現を上手に出せるようになること。もちろんポジティブな感情ですよ。笑う神には福来るとも言いますし、表情が明るければ、人もおのずと寄ってきますよね。しかし、ミクロリアクションのような光源の小さい喜び方では、電灯に蛾が群がるような明光は決して出せません。これは語弊ではありません。事実、僕が体験したことですから、信憑性はあると言えます。もしもあなたがこれからの人生をもっと明るくしたいと考えるのであれば、上記のレスを座右の銘にして、オーバーリアクションを心がけてください。
つづいて第二に、ネガティブな思考回路を改善できるようになること。人間、浮き沈みがあって当然ですが、内向的な人間は浮いているより沈んでいるほうが長いように思えます。これは僕がそうだからそう思うのかもしれませんが、ステレオタイプな見方をすると、断然多いように思われますよね。きっとそのはずです。きっとそうでしょう。その前提でいくとですよ、これはミクロリアクションではネガティブ病を根治出来るとは言えませんよね。そう、オーバーに自分を曝け出すことによって、内向的な人間が持つ恥ずかしさや意気地のなさなどを改善できるんです。皆さん、子供に戻ろうではありませんか。あの頃の、遠足の前日は興奮して眠れなかった純真さを取り戻そうではありませんか。そこからあなたの、本当の人生が始まるんです。さぁ、声に出して。れっつとらい。

このように、あなたはあなた自身を変えうる力を持っているはずなんですが、どうしても、ネガティブに走っちゃう患者さんは少なからずいることでしょう。そこで僕は、悩める現代のサロメ人に、ある一つの解答を見出しました。その方法とは、陰口です。
一般的にはネガティブなイメージであることはもちろん承知していますが、見方を変えると、これはとてもポジティブなストレス発散法だと、僕は思うのです。誰かと一緒に、ではありません。独り、で行う陰口。それ陰口ちゃうんじゃないの? との声が聞こえてきそうですが、他に言葉が浮かびませんので、僕のイメージを共有してください。例えば、頭の中でむかつく奴をこてんぱんに言い負かしたり、打ちのめしたり、といった妄想をしたことはありますよね。それを声に出して言ってみましょう。ちゃんと実感を込めて、吐き捨てるのでス。身体を使ってもいいですね。クレヨンしんちゃんのネネちゃんがよく、ウサギさんに腹パンかましてますが、あれ、意外といいんですよ。一度、騙されたと思ってやってみてください。やみつきになること請け合いですし、誰にも言えない秘め事というモノは、往々にして最高の趣味であるからです。

ポジティブにしろネガティブにしろ、共通して言えることは、感情を表に出す、ということ。独りでやってると馬鹿馬鹿しくなりがちですが、その真顔に戻るラインを超えて、言ってみれば白痴気分で感情を表に出してみてはどうでしょうか。きっと、楽しいと思います。

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