散文誌

日記・小説

Sort by 09 2015

Category: 日想  

病院に行く。の巻

休日等で街に出るとき、僕は、つばの深い帽子や、色眼鏡などで顔、というより、目を隠さないと、外を歩けない人間です。他人の目が気になる。それは多分に、容姿に対してコンプレックスを持っているがゆえの所作、なのでしょうが、あまり深く考えたことはありません。できればマスクも併用して、完全防備、とイきたいところですが、それではもう変質者にしか見えない、という自覚がございますので、使ってはいなかった。のですが、先日、ひどい風邪をひき、市販の薬ではどうにも治らないような気がいたしましたので、注射を打ってもらおうと、病院への道中、マスクを付けざるをえない状況に陥りました。咳が止まらないのだから仕方ありません。マスクに色眼鏡をかけた僕の顔は、三流コメディドラマに出てくるような、怪しさ満点のコソ泥のようで、そのあからさまな怪しさが、何故かツボにハマり、ひとしきり、笑いと咳の発作で喉を痛めました。

病院の選択肢は二つありました。近所の、こじんまりとした内科専門の町医者か、最寄の電車で五つほど駅を通過したところにある、大学病院です。近所の町医者は、子供の頃からのかかりつけといっていいぐらい、何度もお世話になったところなのですが、なにせ子供の頃からことあるごとに通っておりますので、院長先生とは顔見知りもいいとこでして、会えばしたり顔で小言を言う、そんな小うるさい爺のもとへは、とてもじゃありませんが、足が向きません。ですので、多少遠かろうが、大学病院へと向かいました。

出来ればタクシーを使いたかったのですが、そんな余裕はありません。熱と咳でフラフラとする身体にムチを打ち、何かいやな汗が上半身を伝う気色悪い感触、まさに我慢汁を流しながら、電車に乗り込みました。

電車の中は割と空いていて、座席は選び放題です。ですが、座るかどうか悩みました。何故かというと、以前、座席に座ったとき、後から乗り込み、隣に座ったおじさんの、すんだ体臭がきつくて、吐き気をずっと堪えていたことがあったからです。それからというもの、僕は電車では、どんなに空いていようと、必ず立ったままでいたのですが、このときは気だるさに耐え切れず、座ってしまいました。これで外れクジでも引こうものならしょうがない、その時は毅然と俯けになり、原因となった人物に向かってオロロロロとゲロを撒き散らそうと思っていましたが、幸い、そんなことには至らず、無事、電車を降りることができました。

駅から病院へはバスを使います。歩いていけない距離ではありませんが、ダルいのでバスで。ここでもすんだ体臭の持ち主に出会うのではないかと危惧しましたが、あいにくそんな人はいませんでした。実は、密かに期待していたのです。なぜか自虐的な気分になっていて、果たして今の僕は耐えられるのかどうか、試してみたい気持ちに、心が傾いていて、何事もなくバスを降りた際、思わず舌打ちをしたほどです。病気のときは身体はもちろんですが、心もおかしくなるのだと、振り返ってみて思います。

大学病院は休日ということもあってか、かなり混雑していました。それでもなんとか座席を確保し、長い診察までの時間、ぼんやりとしていると。ふと、前の座席にいる、綺麗な白髯のお爺さんと、四十ぐらいの男性の会話に、耳を奪われました。というのも、週刊誌のグラビアアイドルに対して、何やら話あっているようだったからです。


「うちの教室に来てた、ほら、○○さんに似とらんか」
「そう言われれば、確かに、似ているような気もしますが。娘さんでしょうか?」
「ん、歳も四十そこそこだったはずだから、娘かも知れんな」
「離婚して今は独身だという話ですから、娘さんがいたとしても、おかしくはありませんね」
「ほう、離婚を。ならお前にはちょうどいいんじゃないか」
「え? なぜですか」
「なぜということはなかろう。その歳で未だに独身というのはかっこがつかんだろう。美人だし、考えてもいいんじゃないか」
「いえ、先生、そう言われましても。僕なんか、とても相手にされませんよ」
「そんなことはやってみなくちゃ分からんもんだろう。大体、お前は意気地がない。だから未だに独身なんだ」
「まあ、そうなんですが。しかし、生徒さんに手をつけるなんて、とても」
「そう固く考えんでもいいじゃないか。これも何かの縁、ってやつかもしれんだろ」
「縁、と言われましても」
「おまえが妻帯してくれれば、安心して譲れるというもんだ。そろそろ隠居して気侭に生きたい、そんな老人の願いを、お前は無下にするのか?」
「いえ、はぁ、僕は――」

こんな会話だったと記憶しています。二人の関係はどうやら師弟のようでしたが、なぜ、こんな会話が記憶に残っているかというと、中年のおじさんが、お爺さんに対して、「僕」と言っていたからです。なぜ、「僕」なのでしょうか。「私」ではないのか?
いい歳をしたおっさんが、師であり年輩者に対して、「僕」と言う。そこに僕は微かな違和感を感じました。

「僕」という人称は、謙称である。へりくだり語である。弟子が師に対して用いるのは別段、おかしくはない。しかし、それは弟子が若い場合に限るのではないだろうか。爺まで秒読み態勢に入っているおっさんが、爺に対して「僕」とへりくだる。これはおかしい。なにかがおかしい。目上を敬うのは礼儀として当然である。んがしかし、必要以上におもねってはいないか。逆に、慇懃無礼、とまではいかないが、無礼ではないのか。会話を反芻するに、このおっさんは、爺に教室とやらを譲るとまで言われているのだ。とすると、おっさんの腕は師である爺に限りなく近いといえる。師に追いつくほどの腕なら、誇っていて当然である。誇りがあるなら、たとい師であったとしても、師に対して「僕」とは言わない。いや、言えない。師に対する侮辱であるといえる。なぜなら、そこには甘えが垣間見えるからだ。つまり、まだまだ及ばない、この先もご教授くださいと暗に言っている。断罪すべき軟弱さである。惰弱さである。僕はこのおっさんに対して、軽蔑という語以外に表現するすべを知らない。


とまぁ、今思うと不思議でしょうがないのですが、なぜかおじさんに対して、覚える筋のない怒りを覚え、色眼鏡の奥から睨みに睨み付けていました。不思議です。
そんなことを思いながら、診察を待ち、診察を受け、注射点滴を打たれ、薬を貰い、家に帰ってばたんきゅー。
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