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習慣は第二の天性

習慣は第二の天性というように、これまで慣れ親しんできた習慣という檻からは簡単に抜け出せない。
例えば口癖。よく電話で、挨拶する前に、「あっ、何々です」と、頭に「あっ」をつける人はよくいるでしょう。ちなみにうちの母親は「マジに」をよく使います。一度ツッコんだことがあるが、どうやら「マジで」を間違って覚えてしまって、それを誰かに指摘されたところ、間違えていたことが恥ずかしかったらしく、意地でも認めず使い続けていたら、いつの間にか口癖になっていたそうです。僕はそこにジェネレーションギャップと可笑しみを覚え、なんだか笑ってしまいます。だって微笑ましいひとコマじゃないですか。
僕はよく「そうそう」を「そそ」と短縮して言うんですが、子供の頃、おばあちゃんにたしなめられて以来、祖母のまえでは使うのを控えていて、子供心に何故だろうと思っていたのですが、今思えば、祖母の気持ちも分かります。それは「そそ」という言葉が、ある種の年代の人や読書家、知識人には、子供が言う言葉ではないという認識があったからでしょう。そんな思い出を胸に、今日は「そそ」に関連することでも書いてみようよそうしよう。


僕が始めて女性器の俗称であるところの「まんこ」という固有名詞を聞いたのは、オナニーさえ未だ経験したことのない、まさしく純粋な小学五年生の頃でした。兄の友人がふらっと我が家に遊びにきたとき、「まんこって知ってるか?」と聞かれた僕は、素直に「まんこってなに?」と問い返したところ、彼は笑って「まだまだ子供だな」なんて小馬鹿にされた記憶があります。

彼の思わせぶりな謎の言葉と、子供扱いされた悔しさのようなモノが、僕に、「まんこ」に対する探究心を与えました。「まんこ」ってなんだろう、どんなモノなんだろう。子供らしい純真さと芽生え始めた自尊心の屈折した欲求が、片手で数えるほどしか触れてこなかった辞書に手を向けさせました。さっそく辞書をひらいてマ行を調べてみるも、なぜでしょう、載っていません。現在の辞書には記載されているモノもあるようですが、あの頃の辞書には載っていなかった。はてさて、僕は弱りました。何でも載っていると思っていた辞書に、「まんこ」なんて記述はどこにも見当たらなかったのです。

当時、僕には友達と呼べる間柄の他人はいませんでしたから、仲が良いわけでもないクラスメートに聞くなんて、ノミの心臓の所持者である僕には到底不可能。兄や、その友人に聞くというのも癪であり、気が進みません。どうにかして「まんこ」なる謎の言葉の秘密を解き明かさねば気がすまない。
あの頃の自分を脳内メーカーで診断すれば、「まんこ」で埋め尽くされていたことでしょう。

そうして悶々としながら、一月ほど経ったある日のこと。兄にRPGのレベル上げだけをさせられるという苦役に就かされていた僕は、その日も黙々とモンスターを狩り続けていました。しかしそのRPGはウィザードリィという、たとえ雑魚でも油断すれば死ぬこともよくあり、尚且つ死んだキャラクターは復活しないシビアなゲームでしたので、兄に「このモンスターには注意しろ」などといった忠告を受けていたのですが、単調な作業というモノは注意力を散漫にしがちです。ただでさえ「まんこ」という大いなる謎に向かい合っていた僕にとって、そのように単調な作業は不幸にもキャラクターの死という結末を迎えることは必至でした。

さてさて、困りました。兄が知れば激怒することは間違いありません。また1からキャラクターを再現させることなど時間的に不可能。困り果てた僕は、自暴自棄になり、暴挙に出ました。当時のゲームはカセットロムで、衝撃を加えたりすると、よくセーブデータが消えることが多々あったのです。今思えばそんな極端なことをしなくとも、また1から作り直せば、たとえ元のレベルまでに再現できなくても、兄の怒りは幾分収まったことでしょう。
しかし幼さとは愚かさと表裏一体です。そんなことは考えも及ばず、カセットを投げてはデータが消えたか確認し、投げては確認し。絶望の淵へと片足を沈みかせた何度目かの投擲が、雑誌が処狭しと並んでいる兄専用のカラーボックスの、わずかな隙間にはまり込んでしまい。ちょうど雑誌と上板の隙間を通り、わずかに空いていた裏のスペースにすっぽりと。
恐怖と焦燥感に半ば泣きべそをかきながら、雑誌をどかしたところ、捲れた雑誌の一つから、なにやらカラフルな図柄の、雑誌の切り抜きのようなモノが顔を覗かせているではありませんか。思わずなんだろうと手に取ってみると、それは漫画のようなキャラクターが、とてつもなくエッチな格好やポーズをしている珍妙な構図満載の切り抜きで、「コレは一体なんなんだ……?」と、数瞬の間、思考がフリーズしました。無理もありません。それまで僕が目にしてきた性的なモノといえば、少年ジャンプなどの健全なエロだったのですから、膣に陰茎がはまり込んでいる絵など想像の埒外、性的なキャパシティを超えていたのは当然なのです。
そしてつかの間の呆然から強烈な引力をもって僕を引き戻したのは、テキストの、「まんこが云々」などという文言でした。僕はまさに雷に打たれたかのような衝撃、いや、ヘレン・ケラーがwaterをwaterと認識したときのような衝撃を覚えたのです。そうか、そうだったのかと。まんことは女性のアソコのことだったのかと。

そう、僕はついに開眼したのだ。かつてセスタスが最高のカウンターを開眼したと同じように、

、『その感動は深く肉体(記憶)に刻み込まれ、終生忘れぬ自分だけの財産となる』

のである。
そしてその感動は僕を有頂天にし、女性を除いて誰彼となく「そそ、まんこってのは女のアソコなんだよ」と吹聴し、それがきっかけで初めての友達を得ることになるのだが、それはまた別の話。
僕はいまでも、まんこに関する話題には、「そそ」と持ちかける。それは「そそ」が女陰の隠語であるからなのであるが、大抵の人間はそんなことは知らず、僕の、他人からすれば意味の分からない自己満足の密かな楽しみは今後も続いていくことだろう。
ほら、今も夜更かしをしているイけない女の子がツイキャスに蔓延っている。僕は気に入った子の配信をひらき、密かにほくそ笑みながらコメントをそっと打つのだ。

「そそ、知ってる? マンコってさ――」
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