散文誌

日記・小説

Category: スポンサー広告  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: 日想  

石について 添削

 僕が石に並々ならぬ興味を持ったのは、叔父の影響だった。
「光を受けると、煌びやかに輝く石があるらしい。わしはそれを死ぬまでに見つけるんだ」
夏の午後、叔父の家の庭先でスイカを食べながら、そう語った叔父の目は輝いていた、煌びやかに、美しく。
夏の日の淡い思い出に浸りながら、僕は目の前の石に注意を戻した。その石は、
月光に当てると万華鏡を覗き込んだような錯覚に陥ると言われているが、石に興味の無い凡人にとっては、
ただの石ころ一つに過ぎない。それが僕にはひどく悲しいことのように思える。僕のコレクションを見た人は、
口を揃えてこういうのだ、「綺麗な医師ですね、鑑賞用ですか?」と。しかし、そのお世辞の裏には
(一体何に使うのだろうか、愛好家ならば収集が目的なのであろうが、ただの石に興味が湧く事など、
少なくとも自分にはない。奇特な人だな)という思いが透けて見える。
当たり前のようにあるものにも、それが歩んだ歴史がある、ということに普通の人は気づかない。そのような人間は、リリシズムの欠片もない人間であり、人生に一度は哲学や思いに耽る事があるとしても、石に目を向けることはまずないだろう。
一つの思考に集中するという事は実に面白い事で、ある一つのものを見つめ続けるとゲシュタルトが崩れるのと同じで、思考も、ばらばらに崩れていくのだ。それがなにより気持ち良い。
石を見ていたら、何となくそう言った現象が起こり、考えの世界へと導いてくれる。
それは鑑賞などではなくて、思考を構成する一つで脳の一部の様な物なのかもしれない。
石について関連する事象を思い浮かべれば、どれだけ石は歴史に深く干渉して来たのかが自分の脳内に浮かんでくる。
例えば、公園などに落ちている石はもしかしたら古の投石機から射出された岩の断片かもしれない。
そう考えてみれば、歴史が好きな自分にとっては面白い想像ができる。
それが不思議な形であったり、不思議な模様であったりすれば、尚更に想像は膨らむ。

昔、叔父と犬の散歩が日課だった幼い僕は、叔父の為にと綺麗な石を拾っては渡していたという期間があった。
きっかけは、叔父と叔母が家庭菜園をしていて、その野菜などを漬けるための石が砕けてしまったため、漬物石を拾って叔母にプレゼントとしようと叔父が言い出したのだ。それが案外楽しくて、その習慣は何週も続いた。
叔父の家は近くにあり、当時の自分でも行くに手間取る事などない道程だったので、叔父と犬の散歩に行く回数は多かった。
土日は勿論、平日は学校が終われば叔父の家へと駆け出して散歩に行こうとせがんだ。
母から「叔父に迷惑を掛けてはいけないよ」と言われても、叔父は笑って「健康に良いから全然良いよ、寧ろ毎日来い」などと言ったものだから毎日通った。
その時からだろうか、叔父は石を集めて年月日を書いた紙の上にそれを載せて硝子のケースに入れるコレクションを始めたのだった
今も残っているが、相変わらず綺麗な石ばかりが置かれていて、その中に幾つか自分が拾ったものも混ざっていた事に喜びを覚えたり、懐かしい気持ちになった。
ノスタルジーに誘われるまま、僕は叔父と過ごした日々を、家のあらゆる場所から感じ、思い起こした。僕にとってこkは、ある種の博物館の様な、叔父の歴史が語られる場所であった。
一つ一つに各々の思い出があり、中でも一段と黒く、鈍く輝くつるつるとした石は鮮明に記憶に残っているくらいだ。
逆に考えると石が自分の記憶の様で、その一つ一つに、僕と叔父の思い出が詰まっているとさえ思える。最近はとみにそうで、歴史深い聖遺物に触れているような感覚さえ感じ始めたものだ。
もしかすると石とは、歴史さえを飲み込んだ凝縮体で、細やかな情報を蓄えているのかもしれない。悠久のときの流れに身を任せ、何千年もの間、静かに、ぽつんと横たわる石たちの想いは、僕がこの世を去っても、続いていくのであろう。
関連記事
スポンサーサイト

Newer Entryすくみず

Older Entry教訓

 

Comments
Leave a comment








1234567891011121314151617181920212223242526272829303107 < >
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。