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日記・小説

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好きなことなのに才能がない。これほど残酷なことがあるだろうか

 好きなことなのに、才能がない。残酷なことがあるだろうか。

 僕が小説を詠むようになったのは、小学五年の頃だっただろうか。兄が愛読し
ていた
「ロードス島戦記」という架空戦記モノに、兄の影響もあって興味を持った僕は、
手に取ってみた。
 最初は、文字を追うのに必死で、イメージを頭に描くことは難しかった。でも、
文字を追うこと、ストーリーを追うことに夢中になった僕は、いつしか、頭の中
で書かれた場面、人物をイメージできるようになった。
 挿絵の存在が手助けしてくれたのは言うまでもない。正義感に溢れるものの、
すこしばかり猪突猛進というか、冷静さを欠いた主人公パーンは、この物語の主
役であり、またこのロードス島を舞台とする成長譚の主軸である。そんな彼をサ
ポートするのは、幼馴染で優しさに溢れたエド、人を小ばかにしたような態度を
とりつつも、パーンのことを気にかけるエルフのディードリット。他にも様々な登場人
物たちが、ときにパーンを助け、裏切り、物語は進んでいく。
 物語自体は、どこにでもありそうな代物だけれど、初めて触れたファンタジー
小説で、読みやすくもあったロードス島戦記は、幼少期の僕の愛読書となった。
 そして、年を重ねるにつれ、読書のレパートリーも、量も増え、いつしか僕は、
小説を書きたい、と思うようになった。
 本気でプロになりたい、とかそんな本腰を入れた考えではなく、漠然とした夢の
ようなものだった。
それは、自分にできるかどうかわからなかったし、なにより勉強が苦手だった僕が、
小説なんて書けるのか、なんて疑問もあったためだ。
 書こうか書くまいか、迷っていた僕の背中を押したのは、星 新一という、
主にショートショートを書く作家と出会ったときだ。いや、出会う、と書くと
語弊があるな。本屋で見かけ、読んでみた、としよう。そこで僕は、こういう
小説もあるのかと感心するとともに、これなら自分にもできるんじゃないか、
という淡い期待に踊らされ、その日のうちに僕は星 新一氏のショートショート
集を読みきり、早速執筆にとりかかったのである。
 ショートショートとは原稿用紙十枚から三十枚あたりの、短編には及ばない紙
数の小説のことであり、小説を書いたことがない僕には、とても入りやすく、ま
た書きやすいものだと思ったモノだ。なにせ、長編のように長いレトリックで綴
る必要はなく、単純に起承転結を短い話で描けばいいのだ。これなら、誰でも小
説というモノを書けるんじゃないかと思うのも無理はない。しかし、のちに思い
知ることになるのだが、ショートショートというものは、ある意味、長編小説よ
りも難しいといえる代物なのだ。
 起承転結を原稿用紙にすれば十枚から三十枚、文字数にすれば大体、一万から
五万といったところだろうか。その短く狭いスペースに、物語を収めなくてはな
らない。起で物語の枠組みを書き、承で枠の細部を埋め、転で物語を転がし、結で
物語を締めくくる。言葉にすれば簡単だが、実際にやってみるとなると、これが
なかなか難しいものなのだ。
 小さな枠組みのなかで物語を完結しなければならないのだから、長編のように
モノローグから入るなんて無謀もいいとこ、試行錯誤して得た僕のショートショー
トの書き方は、先に落ちを決めることだった。帰納法と呼ばれるこの書き方は、
物語の最後から形作っていくことで、小説を書くときにありがちな物語の齟齬などを
訂正しやすくなる、というモノだ。
 そして書き始めた。最初はただ楽しかった。物語が面白いかどうかではなく、
ただ、文章を書くことが楽しかった。小説を書いているときだけ、自分もいっぱしの
人間になったような気がして、書きなぐった。それが、ただの自己満足だとも知らずに。
 小説とは基本的に、他人に読ませる類のモノだ。一人で書いて一人で読む、そんな
楽しみ方もあるかもしれないけれど、基本は、他人、つまり読者あっての小説なのだ。
僕はそれを完全に失念していた。最初の頃の、ただ楽しくて書いたものは、一般的な
目からも、同じ志を持つ者達からも酷評された。当然だ、僕は読者のことなんて
てんで考えていなかったのだから。
 そのことに気づき、改めて小説を、プロットを見返してみる。プロット、という
より箇条書きに近いプロトタイプにも、その読者の目を忘れたような展開、場面が
山ほど存在した。
 そう、僕には客観視という言葉そのものが抜け落ちていたのだ。だから、僕の書く
小説はどれも独りよがりな展開であり、読者をおきぼりにするような落ちだったりする。
 そのことに気づいたとき、僕は自分の馬鹿さ加減にあきれるとともに、やばり僕には
クリエイティブなこと、創作は向いていないんじゃないかと思うようになった。
 そして僕は、筆を折ることにした。つまり逃げたのだ。批判がコワくて、戦う
まえから尻尾を巻いて逃げ出したのだ。それは僕の人生においても言える事だった。
僕はこれまで、本気で何かに取り組んだことがあっただろうか。いつも楽なほう、
楽なほうへと流されて生きてきたのではないのか。そんな自分だから、この小説の
壁にぶち当たったときも、戦うまえに逃げ出してしまうのだ。
 そして気づくのだ、僕には何もないと。人に誇れることも、人にムネを張れることもない
自分の価値のなさに。
 だけど、それも僕のようなクズにとっては、一過性の気分の落ち込みように過ぎない。
落ち込んでいた次の瞬間には、僕はこれでいいんだと開き直るのだから、自分で
自分に呆れる。でも、下手でも、僕は文章を書く事は好きだ。それが理由に、
ブログを、ツイッターを、主要なSNSには登録しているのだ。
さて、ここまで書いてきて、何を言いたかったのか忘れてしまった。タイトルは、
好きなことなのに、才能がない。これほど残酷なことがあるだろうか。というものだったな、
そういえば。これは平たく言えば、下手の横好きが未練がましく自己の不甲斐なさを
哀れんでいる、ただの自己憐憫に過ぎない。そう、僕は小説に恋をしているけれども、
それは決して実ることのない片思いなのだ。そう諦観めいたことでも書いて、今日は
終わりしようよそうしよう。
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