散文誌

日記・小説

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Category: 日想  

以前、半生を語るスレで書いたモノ

僕が生をうけたのは八十年代の初頭、激動の時代だった昭和の終わりごろでした。
父と母の二親から四男として誕生した僕は、生まれてまもなく喘息を患い、
2歳まで病院で過ごすことになります。その頃の記憶なんてまったく覚えては
いませんが、母によると、喘息によって器官に唾や痰が溜まり、死ぬ危険もあったらしく、
心配でおちおち寝ていられなかったと、後年、笑いながら話してくれました。
そんなこともあってか、僕の名前は健康運に強いとされる画数と文字で構成され、
五人兄弟の仲でも、一際目立つ、異質な名前でした。ちなみに、中学までのあだ名は〇ッチーです。
男なのに〇ッチー。僕はその響きが嫌いでしたが、わざわざあだ名を変えさせるようなことは、
気の弱い僕には無理でしたので、しかたなく受け入れました。

僕は人見知りが激しく、またとても気の弱い子供だったので、小学校六年生になるまで、
一人も、友達がおりませんでした。その期間の思い出といえば、昼休みに当てどなく学校内を
歩き回る自分の姿です。友達がいなくて恥ずかしい、という気持ちは不思議と抱いたことはありませんでした。
友達がいた経験が無かったですし、なにより、僕には四人も兄弟がおりましたので、学校では、ただ、寂しいな、
としか思ってなかったと記憶しております。

その僕が、どうやって友達を作れたかと言うと、外見の変化のせい、と言えるでしょう。
小学校六年を迎える春休み、僕は兄にいたずらされ、眉毛を剃られてしまったのです。
僕の眉毛はケンシロウのように太くゲジゲジとしておりましたので、兄の手によって綺麗な弧を描かれると、
あら不思議、ダイブ印象が違って見えました。これが自分かと、最初かがみを見たとき思ったものです。
それほど、眉毛と言うのは人の顔に影響を与えるバーツなのでしょう。僕はそれから変わりました。

自分がかっこよくなったと、鏡を見て思った僕は、自身の変化を感じました。それまで、
引っ込み思案で暗い性格だった僕は、蛹から蝶へと変貌を遂げるように、高慢な自分へと変身を果たしたのです。
何故、高慢になったか、不思議に思う方もいるでしょう。原因の最たるものは、兄弟たちが僕に賞賛の嵐を浴びせたからです。
それは始めての経験でした。かっこいい、前とは全然違う、見栄えがよくなったなど、僕にとって唯一の人との接点であり、
信頼しきっている兄弟たちからの賛美は、僕の自尊心を肥大させました。

それからというもの、僕は春休みの期間中、自分がかっこよくなったと勘違いしたまま過ごします。それはとても
楽しく、幸せなひと時でした。子供の頃、誰もが不思議な全能感に浸るものですが、僕にもそのときが来たのです。
そして、始業式を迎えました。その日のことは、昨日のことのようによく覚えております。


僕は興奮からか、よく眠れず、少しばかり睡眠不足でしたが、自分の変貌ぶりを同級生たちに見せるときを思うと、
眠さなど吹き飛び、興奮と不安からドキドキしっぱなしで、朝ごはんもあまり食べなかった覚えがあります。
身支度もそこそこに、僕は少しばかり早めに学校へと向かいました。弟がしきりと僕を冷やかすので、堪えられなくなったのです。


学校へと向かう道すがら、クラスメイト達の姿をちらほら見かけました。でも、僕には友達がいませんでしたから、
当然のごとく、僕に話しかける人間などいません。けれど、僕はいつ誰が気づいてくれるのか、もうドキドキで心臓が
飛び出そうでした。やがて学校につき、教室に入っても、一体誰が僕の変化に気づくのか、今か今かと期待と恐怖が
半々といった気持ちで一杯でした。


しかし、いつまで経っても、僕の変化に気づいてくれる人はいませんでした。クラスメイトにとって空気のような
存在だった僕の、僅かな変化など、気づいてくれるわけがなかったのです。なぜなら、僕は空気だったのですから。
それから家に帰るまでの辛さといったらなかったです。初めて、自分がどれほど惨めな存在かということに気づいたのです。
あの日を思い返すたび、悔しくて悔しくて、今でも動悸をおぼえるほどです。


それからです。僕の中に明確な自意識、というより思春期としての物心がついたのは。僕の小さな世界で、僕という人間の滑稽さと
バカさかげんを明確に認識したのは。自分と同年代の人間に対する嫉妬心。僕にはなく、彼らにはあるものに対する
憧憬。僕はようやぐ万物の長たる人間゙としての第一歩を踏み始めたのでした。


まず考えたのは、友達を作らなければいけない、ということです。学校という小さな社会で、孤独であるということは
罪に等しいものです。異質であることの異常性。誰からも相手にされることのない人生。そんなものはまっぴらです。
では、どうすれば友達を作ることができるのか。考えに考えたあげく、僕は図工の宿題で出された自由課題の絵を利用することにしました。
絵心があり上手だった兄の絵(当時連載中だったドラゴンボールのベジータの絵)を、自分が書いた事にして、提出したのです。


子供というのは単純なものです。ほとんどのクラスメイトが、僕の絵に感心の念を表しました。中には疑念を持つ人も
いましたが、素直に受け止めてくれる人たちが擁護してくれて、僕は歓心を得ることに成功したのです。内心ドキドキもの
でしたが。それからというもの、僕は度々、兄の絵を持ってきてはクラスメイトに見せていました。どういう風に描いたのかも、
兄の受け売りで、実際に絵を描くところを見せないようにするには、少々骨が折れました。しかし、その甲斐あってか、
僕のことを師匠と呼ぶクラスメイトが現れ、その子を中心に、徐々に友達の輪の中に溶け込めるようになり、僕にも友達
というものができました。それはそれは嬉しかったものです。今まで兄弟としか遊んだことのなかった僕が、他人と遊ぶ
ことは、大げさですが驚異の連続でした。友達とはこういうものなのだなと思ったものです。


友人を得た僕が次に目を向けたのは、ファッションでした。なぜかって、それを聞くのは野暮というものです。
そう、女子です。異性への興味。六年生のとなれば、小学校ではトップの子供達ですし、来春には中学が待っています。
興味を抱かないほうが不思議というモノです。ですが、僕の家は八人家族ということもあり、服は主に兄のお下がりでした。
おこずかいもすくなく、家計に四苦八苦していた母の背中を見ていた僕には、おこずかいアップや、洋服をねだるのも
気がねしてしまいます。そこで目をつけたのが、ヘアバンドでした。姉が持っていた黒のヘアバンドを貰い受けた僕は、
それを付け学校に行くことにしたのです。女の子が付けるモノを使うのはなかなか勇気のいることでしたが、
僕にはその手以外いい方法が思いつかず、一大決心のすえのヘアバンドでした。


次の日、学校へと繰り出した僕は、友達との合流地点に向かいました。友達がどんな反応を示すのか、ドキがむねむねの
僕を待っていたのは、予想より控えめな反応でした。友達にとってはさして心を動かされることのない、
ふーんそっか、といった具合の、取るに足らない出来事のようでした。これは失敗したな、と失望するとともに、
クラスメイトの、特に女子の反応が怖くなった僕は脱兎のごとく家に逃げ帰りたくなりました。
しかし、女子の反応も、友達と似たり寄ったりでした。僕はほっとするとともに、失望もしました。なぜなら、
僕はそこまで興味を持たれる存在ではなかったからです。それも当然です。ほんの少し前までは、僕は空気と同質だった
のですから。でも、友達を得、普通の子供としての人生を歩み始めていた僕の肥大した自意識には大ダメージでした。

そして中学にあがり、高校を経て、受験に失敗してフリーターとなり、今は立派なニートです。   終
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